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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

想像力と支配欲の先にあるグロテスクさが物足りない/『ルビー・スパークス』

想像から生まれた”理想の恋人"

映画『ルビー・スパークス』は、支配欲にとらわれた人間が、痛い目にあって成長する物語だと言えるのかもしれない。主人公のカルヴィン・ウィアフィールズは小説家。デビュー作は大ヒットしたけれども、今ではスランプに陥り、何も書けずに苦悩していた。そんなカルヴィンは精神科医のところに通うが、医師の勧めで夢に出てきた女の子を主人公にした小説を書きはじめる。

ところがある朝、カルヴィンの書く小説のヒロイン、ルビー・スパークスが現れる。カルヴィンは戸惑いながらも、彼女との楽しい生活をはじめる。やがて、彼女の言動はカルヴィンが書いた小説のとおりになることに気づく。理想の彼女ルビー・スパークスとの生活をカルヴィンは楽しむが……、というストーリーの恋愛映画だ。

この物語、人間が意のままに人間を支配するグロテスクさを描く物語でもあるので、そのグロテスクさをしっかりと描写すれば、もう一段深みのある物語になったと思われる。

支配しようとするカルヴィンと支配を拒むルビーの衝突が今ひとつありきたりであったからだ。特にクライマックスとも言える場面、カルヴィンがページを書き足していくたびに、ルビーの言動がころころと変わる場面の描写が少々漫画的に見えてしまったからだ。そういった理由で、深みの足りない物語になってしまったところが少々残念であった。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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フィデルのせいで/2016年11月のまとめ

映画『ぜんぶ、フィデルのせい

先日、キューバの前国家評議会議長フィデル・カストロ氏が亡くなりました。

フィデルは言うまでもなくキューバ革命を起こした革命家です。熱狂的な支持から独裁者としての批判まで、革命を成し遂げた政治家には毀誉褒貶が付きまといますが、ここではフィデル・カストロの生涯や評価には踏み込みません。

フィデル・カストロの死を伝えるTwitterのタイムラインを眺めていたら、映画『ぜんぶ、フィデルのせい』の紹介が流れてきました。カストロに関連する映画ということで流れてきたものです。わたしは「へえ、こんな映画があるんだ。今度観てもいいかもしれない」と、そのとき思ったのですが、今度は別のTweetで『ぜんぶ、フィデルのせい』の予告編が流れてきました。

その『ぜんぶ、フィデルのせい』の予告編をYouTubeを観ていると、「あっ、この映画観たことあるぞ」ということに突然気づきました。予告編で流れる映像には、映画の中に出てきた場面がいくつもの断片となって映し出されていて、その場面の断片によって、わたしがかつてこの映画を観たことがあるという記憶を呼び起こしたのです。

つまり、わたしは映画『ぜんぶ、フィデルのせい』を過去に観たことがあったのですね。つまりは、映画『ぜんぶ、フィデルのせい』のストーリーや内容の多くの部分、もっと言えばその映画を観たこと自体を、わたしは忘れ去っていたわけです。

そのことにちょっと愕然としましたが、よく考えてみれば、映画の場面やストーリーの多くは、忘れ去ってしまうものでもあります。印象に残った断片的な記憶やイメージだけを、あとでわずかに思い出すことができる、それが映画だと言えばそうなのかもしれません。

まあ、本だってその内容のすべてを覚えているかと言うと、ほとんど忘れ去ってしまうのですが。わたしの記憶力が悪いだけという話なのかもしれませんけど。

参考)映画『ぜんぶ、フィデルのせい』/yahoo!映画
http://movies.yahoo.co.jp/movie/329190/

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虚栄心とプライド、そして破滅/『ブルージャスミン』

希望など、どこにも見出せない

映画『ブルージャスミン』は、落ちぶれたセレブがさらに救いようのないところまで落ちてゆくのを描く物語だ。ウォッカと精神安定剤を常に手にするジャスミンの、華やかな過去と痛々しい現実を対比させながら物語は進む。ひとことで言うと『ブルージャスミン』は救いようのない物語である。それは虚栄心と嘘から逃れることができなかった末に陥ってしまう破滅を目の当たりにするからだ。

主人公のジャスミンがニューヨークからサンフランシスコへとやってくるところから、この物語ははじまる。飛行機で隣合わせた乗客に向かって自分のことをまくしたてて話し続けるジャスミンの姿に、この人はどこか普通じゃないところがあるなという予感をわたしたちに抱かせながら物語は幕を開く。

この物語が映画的なラストを迎えたとき、ベンチに座るジャスミンの姿がわたしたちの胸を締めつける。ひとりの人間の破滅を目撃してしまうからだ。わたしたちはこの物語を通して、たびたび顔を出すジャスミンの虚栄心と嘘に呆れながらも、彼女なりの努力と奮闘を目の当たりにし、その努力と奮闘が彼女の人生をより良き方向に導くように願ってきた。けれどもその努力と奮闘は、けっきょく最後には灰燼に帰してしまう。

ここで物語は映画的な終幕を迎えるが、ジャスミンの人生はこれからどうなってしまうのだろうという思いが、引っかき傷のようにわたしたちの胸に残される。映画『ブルージャスミン』は、とても苦い後味を残す作品だ。希望など、どこにも見出せないからだ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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パーティーの余韻が残る庭/『レイチェルの結婚』

傷を抱えながらもより良い人生を選べることを描く

映画『レイチェルの結婚』は、ある一家が結婚式を迎えるまでの数日前をドキュメンタリータッチで描く作品。結婚式という家族にとって人生で重要な日を迎えるまでの数日間を描きながら、家族や姉妹の抱える葛藤や感情、思いを浮き彫りにし、その和解や解消を描く。

レイチェルという姉と、キムという妹のふたりがこの物語の主人公。キムはドラッグ中毒のリハビリ施設の入退院を繰り返していたが、姉レイチェルの結婚式に出席するため、久しぶりに実家に帰ってくる。結婚式の準備中とあって、華やかで幸せな雰囲気に包まれる一家。しかし、キムの言動が家族の抱える問題を浮き彫りにしてゆく……。

傷は簡単に修復されるわけでもないし、ましてや消え去るものでもない。その傷跡はどれほどの時間が経過しようとも、場合によっては何年何十年も、傷口がぱっくりと開いた血が流れる生々しい痛みをもたらすものかもしれない。でも、人間はその傷跡を抱えて生きていかなければならないし、その傷跡から逃れることもできない。

けれども、人間は傷にとらわれたままでいるわけにはいかない。過去の傷は傷として抱えながらも、幸せでより良い人生を選び取って歩きはじめることも可能だ。この物語は、そういったことを示していると言えるだろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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想像力をいったん脇に置いていても/2016年10月のまとめ

戯曲を読むのが苦手

最近、ちょこちょこっとシェイクスピアの作品を読み返しています。昔読んだものを読み返したり、今になって初めて読んだりするものもあります。

みなさんご存知のように、シェイクスピアの”作品"を読むことは、戯曲を読むことですね。戯曲とは、簡単な舞台(場所や時間)の説明があって、その次に人物名とその人物のセリフを次々に書いているシナリオのこと。

わたし自身、戯曲を読むのは苦手です。小説とは違う脳の部分を使っているような気がするから。それは、小説の「地の文」と、戯曲の「ト書き」では、何かが根本的に違うような気がするから、というような気がします。
Factory Theatre

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