誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

沈黙と静寂の中にあふれる濃密な愛情/『キャロル』

沈黙と静寂の中にあふれる濃密な愛情/『キャロル』:目次

  • ちょっと怖いなあと思ってしまうくらいの濃密な恋愛
  • 静寂と沈黙の中の愛情
  • キャロルの強い引力
  • 映画の概要・受賞歴など
  • 参考リンク

ちょっと怖いなあと思ってしまうくらいの濃密な恋愛

映画『キャロル』は、女性同士の濃密な愛を描いた物語。物語は1950年代のニューヨークが舞台。デパートの店員テレーズとお客としてやってきたキャロルとのあいだの女性同士の恋愛を描く。静謐と沈黙が世界を美しく支配する中で、ふたりの女性の濃密な愛情がそこかしこに満ちているのを、わたしたちは感じることができる。

クリスマス目前のデパートのおもちゃ売り場で働くテレーズの前に現れたのは、幼い娘へのクリスマスプレゼントを選びにやってきたキャロルだった。キャロルが売り場に置き忘れた手袋を、テレーズがキャロルの自宅へと届けたことから、ふたりは少しずつ親密になってゆく……、というストーリーである。

映画『キャロル』に描かれた女性同士の恋愛を男性のわたしが見ても、そこにある濃密な愛情はうらやましいほどに「いいなあ」と思えるものがあり、そして同時に、ここまでもう密だと「ちょっと怖いなあ」と感じるものもある。

「ちょっと怖いなあ」と思うのは、ここに描かれているのが同性愛だからというわけではない。それは異性同士の恋愛にもつきものの、相手を深く愛し過ぎるときのような危うさである。あまりにも深い愛情が、むしろその関係を破綻へ向かって進ませてしまうんじゃないかという危うささえも感じさせるのである。そういった面が描かれているからこそ、この物語は普遍的な愛を描いているのだとも言えるだろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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親切心と愛犬/『アーティスト』

親切心と愛犬/『アーティスト』:目次

  • 「親切心」を描いた物語
  • 「想像」の力を引き出すサイレント映画
  • ペピーの親切心
  • 愛犬ジャックの大活躍
  • 映画の概要・受賞歴など
  • 参考リンク

「親切心」を描いた物語

映画『アーティスト』は、かつて大スターだった俳優ジョージ・ヴァレンタインが階段から転がり落ちてゆくさまと、新進気鋭の女性俳優ペピー・ミラーが階段を駆け上がってゆくさまを対比的に描いてゆく。「親切心」がこの物語のひとつのテーマだろう。ジョージの親切心がペピーを人気俳優に引き上げ、ペピーもまたその親切心を忘れずに俳優としてのキャリアを積み上げてゆく。

物語の最後には「ああ、誰かに親切にすることっていいなあ」、「誰かにかけてもらった親切は忘れないようにしよう」と、思わず感じてしまうような心温まる物語となっている。

物語は1927年のハリウッドから幕を開ける。世の中はサイレント映画の絶頂期。俳優ジョージ・ヴァレンタインはサイレント映画の大スター。彼の出演する映画は、満員の観客たちから熱烈な拍手喝さいを浴び、彼はどこへ行ってもファンたちに取り囲まれ、サインをねだられる。

そんなとき、偶然にも俳優志望の若い女性ペピー・ミラーは、ファンたちに囲まれるジョージとともに写真を撮られ、たちまち新聞や雑誌で「あの娘は誰?」と騒がれてしまう。ペピーもまたジョージの大ファンで、彼を取り囲むファンのひとりだった。ペピーはジョージに再会したい一心で、映画のオーディションを受け、エキストラの座を射止める……、というストーリーだ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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2017年最後の更新。そして少々の愚痴めいたこと。/『誤読と曲解の映画日記』2017年12月のまとめ

2017年最後の更新。そして少々の愚痴めいたこと。/『誤読と曲解の映画日記』2017年12月のまとめ:目次

  • 少々の愚痴めいたこと
  • 『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめ
  • 『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめ
  • 管理人からのお知らせ:Amazonほしい物リスト

少々の愚痴めいたこと

『誤読と曲解の映画日記』、今年最後の更新です。

早いものでこのブログを開設してから丸2年が経とうとしています。今年は管理人が少々多忙だったため、なかなか更新できない時期もありましたが、なんとかまた1年間更新することができました。

さて、今さらですが、映画を観たときに浮かんだことを文章化するのはなかなか骨の折れる作業です。そもそもは自分用の映画の感想記録みたいなものとして、このブログを立ち上げたのですが、2年間ほど映画を観て感想を書いてという作業を繰り返して、それで文章が上手くなったかと言われると、それがやっぱり上手くなっていないんですねえ。

そういうわけで、ブログをはじめて2年経っても、なかなか文章が進まず、呻吟しながら記事を書き続けています。おそらくはこのままで続いていくのでしょう。

1年の最後に少々愚痴めいた話になりましたが、みなさま良い新年をお迎えください。

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もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語/『ゴスフォード・パーク』

もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語/『ゴスフォード・パーク』:目次

  • もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語
  • その消滅は避けられない
  • わずかな希望のようなもの
  • 映画の概要・受賞歴など
  • 参考リンク

もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語

映画『ゴスフォード・パーク』は、消え去りゆく”貴族”の姿を描き出した物語。1932年秋のイギリス、貴族の邸宅「ゴスフォード・パーク」を舞台にした貴族たち、その使用人たちの人間模様を、ある殺人事件にからませて描く物語である。

この「ゴスフォード・パーク」でハンティング・パーティーが開かれるために人々が集うところからこの物語ははじまる。「ゴスフォード・パーク」の持ち主は貴族のウィリアム・マッコードル。ウィリアムの妻シルヴィアの叔母トレンサム伯爵夫人、シルヴィアの二人の妹夫婦、ウィリアムの親戚であるアメリカの俳優やその友人たちが、それぞれの使用人たちとともに「ゴスフォード・パーク」へとやってくる。

貴族たちや使用人たちが織りなす人間関係の多くは良好なものではない。険悪さや冷酷さ、自己愛や保身に満ち、そこへいくつかの思惑がからまり、それからわずかながらの親切心がある。そこへ殺人事件が起こることで、あらゆる思惑が明らかになり、隠されていたさまざまな真実が明るみに出る。

時代背景としては第一次世界大戦後のイギリスであり、その当時はイギリス貴族階級が衰退していった時期であるという。たしかにこの物語の最後は「ゴスフォード・パーク」に集った人々が去ってゆく様子を描きながら、何かが終わることを感じさせるようなしめやかな終わり方となっている。殺人による貴族の死を描き、その周囲の人々の抱えるものをあぶり出すことで、もう二度と取り戻せないであろうものを、わたしたちの心に郷愁とともに感じさせるのだ。

ただ、映画作品としてみると、前半はやや退屈に感じてしまうのも否めない。それは物語自体がほとんど動かない一方で、人間関係の把握や整理の情報処理に追われるからだ。ならば、前半部分で登場人物たちの背景をより深く示すことだってできたはずである。そうすれば、もう少し作品や人物にのめり込むことができたと思うし、物語が終わったあとの貴族階級の衰退や使用人の今後の人生を思わず想像してしまうような余韻も、より深い味わいになっただろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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世界の悲惨に想いを馳せ、その悲惨さから目をそらすな/『おやすみなさいを言いたくて』

世界の悲惨に想いを馳せ、その悲惨さから目をそらすな/『おやすみなさいを言いたくて』:目次

  • 絶望的な気分が支配するが、かすかな希望も見出せる物語
  • 理解と共感が救いとなる
  • アフリカの銃声がアイルランドの家族を引き裂く
  • 破壊されなかった信頼関係
  • 世界の悲惨に想いを馳せ、その悲惨さから目をそらすな
  • 映画の概要・受賞歴など
  • 参考リンク

絶望的な気分が支配するが、かすかな希望も見出せる物語

映画『おやすみなさいを言いたくて』は、理想と現実とのあいだで葛藤する女性の姿を描いた物語だ。物語全体を通じて、どちらかといえば絶望的な気分が支配する作品だ。けれども、絶望的な雰囲気の中にかすかな希望も見いだすことのできるし、それがこの物語の救いにもなっている。

主人公のレベッカは、紛争やテロといった世界の悲惨な現場へ飛び込み、写真を撮り続ける報道カメラマンとして活躍する女性だ。あるとき、自爆テロを起こす人々の取材をしていたとき、自爆テロに巻き込まれ大けがをしてしまう。

レベッカは一命を取り留めるが、心配する家族と今後はもう危険な場所に行かないと約束をする。家族はレベッカの危険と隣り合わせの仕事に理解を示していたが、実はそうではないことを知る。夫のマーカスは「君の生き方を愛している」と理解を示していたが、実は本心では心をすりつぶすほどにレベッカを心配していたのだ。

そんなマーカスの気持ちを推し量って、レベッカは家族のいるアイルランドで家族とともに幸せな生活を送ることになるが、次第に自分の中に存在する「抑えきれない何か」を抑えきれなくなってゆく…...、というストーリーである。

家族との平和で幸せな日々を選ぶのか。それとも危険な紛争地を飛び回って、人々に世界の悲惨さを伝えることを選ぶのか。レベッカはそういった選択をこれまで常につきつけられていて、そしてこの物語の中でも常にそれを問われ続けているのである。

わたしはレベッカの最後の選択を好意的に受け取った。なぜならば、レベッカの選択を理解し、応援してくれる存在があったからである。その存在があったからこそ、この物語は完全に絶望的な物語になってしまうことから救われているからである。もし、この物語の最後でレベッカがそう選択しなかったなら、レベッカのそれまでの存在意義までをも消えてしまうことになっただろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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