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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

友情と勇気を持って不正義へ立ち向かえ/『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』

ベスト・オブ・ベストの映画という位置付け

この映画のタイトルは「小宇宙戦争」と書いて「リトルスターウォーズ」と読む。その名前の通り「スターウォーズ」をもじったものだが、宇宙空間での戦闘シーンがあり、遠い宇宙の惑星に乗り込んでいくなど、宇宙を舞台にしたSFチックな作品である。

のび太スネ夫ジャイアンとともに、ラジコンやプラモデルを使って宇宙を舞台にした特撮映画をビデオ撮影するところから物語は始まる。しかし、ほどなく例によってのび太が撮影の足を引っ張り、仲間外れになってしまう。そこで、のび太ドラえもんやしずかちゃんを誘い、自分たちも特撮映画の撮影を始めるが……、というストーリー。

ドラえもんの大長編映画は、もともと子どもの頃から大好きな映画シリーズだ。特に、この『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』は、わたしのもっとも大好きな映画である。もちろん、他のドラえもんの大長編映画作品にも好きな作品はたくさんあるのだが、わたしにとってその中でもナンバーワンの位置付けなのだ。

そして同時に、『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』は、邦画洋画実写特撮アニメなどのジャンルに関わらず、すべての映画の中でもナンバーワンの位置を占めている。「一番好きな映画は?」と誰かにたずねられれば、必ずこの映画の名前を挙げるほどに。

そういうわけで、わたしにとって『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』は、すべての映画の中でのベスト・オブ・ベストに位置付けられている。

なぜ、私はそれほどまでに『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』が好きなのか?

それは、ドラえもんのび太をはじめ、いつものドラえもんのメンバーが友情と勇気を持って不正義へと立ち向かう姿勢に心打たれるからである。

もちろんそこには、ほんのちょっとだけドラえもんの道具の後押しがあるのだが、特にこの映画では極力、ドラえもんの道具は使われない。むしろスモールライトを敵に奪われ、のび太たちは身体が小さくなったまま、敵や困難に立ち向かわなくてはならなくなるのだ。そんな不利な状況にもかかわらず、友情と勇気を胸に抱いて大きな不正義に立ち向かう、そんなのび太たちの姿が描かれる。

※以下、ネタバレが含まれています。

友情と勇気を胸に抱えて

先に少しだけ書いたが、敵と戦闘する際にドラえもんの道具は使われない。ここで活躍するのが、スネ夫の作ったラジコンの戦車であり、のび太たちはその戦車のみで戦うのだ(厳密に言えば、そのラジコンの戦車もドラえもんの道具を使って改造したものではあるが)。

物語の中でのび太たちの友達になったのが、遠い宇宙の惑星であるピリカ星の大統領パピである。このパピ、実は反乱軍のクーデターに遭い、身の安全を確保するためにピリカ星から脱出させられていた。パピは結局、地球で反乱軍にとらわれ、処刑されるためにピリカ星へと連行されてしまう。のび太たちはこのような不正義に憤り、パピを救出すべくピリカ星へと向かう。

反乱軍がクーデターを起こし、大統領の処刑を企てるというのは、映画の中だけの話や自分とは遠い国の出来事ではある。しかし、そのような不正義や不条理は、ある意味では自分の身近な場所にある不正義や不条理のメタファーでもあるのではないかとわたしは思う。

なぜなら、力づくで自分の言い分を相手に押し通そう(ここではクーデター)、あるいは相手を力でねじ伏せよう(ここでは大統領の処刑)ということを不正義や不条理というのなら、そのような不正義や不条理は、様々なかたちで我々の身近な世界に満ちあふれているはずだからだ。たとえば、テロや民族差別、あるいはブラック企業やいじめなどのかたちで。

さて、ドラえもんの大長編映画では、のび太たちがいつもの短編漫画やアニメではあまり見せることのない活躍を見せる。もちろん、この『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』でも、のび太たちは普段の姿とは異なる姿勢や活躍を見せる。

ピリカ星へと乗り込むことを躊躇するいつものメンバーに先立って、パピを助けようと奮起するジャイアン。ピリカ星では、敵の巨大なクジラ型戦艦にひとりで戦いを挑む。

しずかちゃんは、おびただしいほどの数の敵に恐怖を感じながらも、ラジコン戦車に乗り込んで宇宙空間に飛び出す。独裁者の言いなりになりたくはないという悔しさを抱えて。

はじめは敵に怯えて倉庫に身を隠していたスネ夫も、しずかちゃんの行動に奮起して戦車に乗り込み、宇宙空間へと飛び出す。そして、敵の攻撃艇の砲身がしずかちゃんの乗った戦車に向けられ、照準を合わせた瞬間、敵としずかちゃんとの間に入り込み、攻撃を一身に受けるスネ夫

のび太は走りが苦手ながらも、そしてドラえもんの道具に助けられながらも、ピリカ星で敵の目をかいくぐるために全力疾走し、へとへとになりながらも地下組織へとたどりつく。

このようにのび太たちは、圧倒的な戦闘艇の数、そして情報収集能力を持つ敵に立ち向かう。恐怖を抱き、逃げ出したい気持ちを抑えて。そんな姿勢や活躍を見せるのは、なによりもパピとの友情のためだ。その友情のために勇気を抱えて、不正義や不条理をもたらす敵に立ち向かう。

この間知り合ったばかりの友達に、そこまでできるだろうか?
たとえ、スモールライトを取り返さなければならない、パピの処刑を阻止しなければならないという事情があったとしても、その友情のために危険に飛び込むという姿に、何度見ても胸を打たれる。

どんなに不利な状況でも一生懸命に戦うことの大切さ

ピリカ星の人々はクーデターを起こした反乱軍に対抗すべく地下組織を結成し、一斉蜂起を企てていた。しかし、反乱軍の圧倒的な軍事力や情報収集能力の前になすすべがない状態に置かれていた。のび太たちは敵による監視の厳しい街を抜けて地下組織にたどり着くため、ここでようやくドラえもんが道具を登場させる。

しかし、ドラえもんの道具は万全ではなく、絶対的に有利なものではないというところがミソである。のび太たちは地下組織の人々のところにたどり着くが、ドラえもんの道具が万全ではないために、敵に行動を探られてしまいかねない状況に陥る。それでものび太たちは、危険を顧みずに突き進むのである。

そのようなのび太たちの、パピを救出するためという目的のためなら危険を厭わないという姿に打たれる。

たとえば、大人の場合、仕事や家庭などの場面でも、自分たちが圧倒的な不利な状況の中であれば、誰かのために理不尽や不正義と戦うなんてことは大人でも躊躇するだろうし、おそらくはできないことだ。目をつぶって耳をふさいで傍観者としてやり過ごすかもしれない。わたしを含めた多く大人たちは。でも、のび太たちはそれをやってのける。その姿が、大人になった目から見るとまぶしく輝いて見えてしまう。

けれども、けっきょくのび太たちは地下組織の人々とともに敵に捕まってしまい、パピと一緒に処刑場へ引き出されてしまう。処刑部隊からのび太たちへ銃口が向けられる。

一方、のび太たちとは別行動をしていたスネ夫としずかちゃんもまた、危機に陥っていた。敵がのび太たちが乗ってきたラジコン戦車を分析し、弱点をつかんでいた。ピリカ星へと乗り込んだスネ夫としずかちゃんも、あっけなく敵に弱点を攻撃されて海の底へと沈んでしまう。戦車の内部に海水が入り込み続ける。呼吸もできなくなってしまう。一巻の終わりかと思われる。

物語は一番のピンチを迎え、このままのび太たちは奮闘むなしく、敵に敗北してしまうのか。誰もがそう思った瞬間、なんとスモールライトの効き目が切れて、のび太たちの身体はたちまち元の大きさに戻る。ピリカ星の人々から見れば、見上げるような巨人となる。形勢は一気に逆転し、のび太たちの奮闘に刺激され、ピリカ星の人々も独裁者に立ち向かう。まあ、この辺りの展開は、ある意味ではご都合主義ではある。

しかし、そんな展開上の偶然な幸運すら、不利な状況でもドラえもんの道具に頼らずに一生懸命に戦っていれば幸運の女神が微笑み、最終的に勝利を収めることができるのだというメッセージなのだと好意的に解釈したい。

ところで、この映画の主題歌は、武田鉄矢の歌う『少年期』が使われている。その曲の中で、「僕はどうして大人になるんだろう」、「僕はいつごろ大人になるんだろう」と歌われている。「大人」とは、次のようなことを胸に抱いている人なのかもしれないと、この映画を通じて考えた。

子どもの頃、何かに夢中になって胸を躍らせたことを忘れることなく、大切に胸に抱き続けているか。
自分のすぐそばにあるはずの不条理や不正義に対し、怒る心や立ち向かう勇気を持っているか。

ドラえもん のび太の宇宙小戦争』は、大人になった我々にそのようなことを突きつけているのだ。