読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

もうひとつの「悲しみよ、こんにちは」/『サガン 悲しみよ、こんにちは』

映画日記

もうひとつの「悲しみよ、こんにちは」

フランスソワーズ・サガンは18歳のとき、小説『悲しみよ、こんにちは』を発表して衝撃的なデビューを果たす。この小説の発表によって、彼女は一躍、膨大な富と世界的名声を手に入れる。

しかし、彼女の人生は『悲しみよ、こんにちは』という小説のタイトルどおり悲しみ、そして孤独を呼び寄せる生涯だった。映画『サガン 悲しみよ、こんにちは』は、孤独と悲しみにとらわれた作家サガンの生涯を描く。


小説『悲しみよ、こんにちは』の世界的大ヒットにより、一躍、膨大な富と世界的名声を手に入れたサガン。そんな彼女の周囲には「たかり屋」がたくさん寄ってくる。彼女の富を目当てに、遊びまわろうと目論む連中だ。

サガンは「たかり屋」とともに派手なパーティーやカジノに出入りし、ギャンブルや浪費の日々に明け暮れる。サガンの享楽的、破滅的な人生はここから始まった。この映画は、そんな作家サガンの、小説家デビューから死までを描く。


ところで、この映画のタイトルには、サガンのデビュー作かつ最大のヒット作である小説『悲しみよ、こんにちは』のタイトルが用いられているが、この映画自体のストーリーは、小説『悲しみよ、こんにちは』とはあまり関係がない。

むしろ、小説『悲しみよ、こんにちは』とは別の、享楽的、破滅的なサガンの人生が呼び寄せた孤独と悲しみ、という意味も含まれているのかもしれない。その意味では、サガンの人生そのものが、もうひとつの「悲しみよ、こんにちは」的な生涯ではなかったか。そんなことを思わせる映画だ。

※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

人間の本質を冷静に捉える作家サガン


この映画ではところどころに、サガンの言葉が独白として語られる。

その独白のひとつひとつが、サガン自身、小説を書くこと、そして自分の人生を生きることにとても真摯に向かい合っていることを示している。

サガンは享楽的、破滅的に生きながらも、作家として孤独で悲しげな人間の本質を冷静に捉えていることがわかる。それはまぎれもなく、作家としての本能がそうさせているのだろう。あるいは、孤独で悲しげな人間の本質を捉えているからこそ、サガン自身の人生は、享楽的、破滅的になったしまったのであろうか。

けれども、世間の人々はそのような本質を見つめるサガンには目もくれなかった。

18歳で小説『悲しみよ、こんにちは』を発表したサガン。しかし、世の中の人々は作家サガンの作品よりも、「衝撃的なデビューを果たし、派手な話題を提供する有名作家のサガン」の姿に興味の目を向ける。

たとえば、第2作目の『ブラームスはお好き』を出版したあとのサイン会での場面に、こんなセリフを吐くサガンの姿が描かれる。

「ファンの興味は小説よりも”サガン”よ。小説には興味ないんだわ」

人々から向けられる視線にサガン自身、ひとり孤独に懊悩する。

「有名作家のサガン」という虚像だけが大きくなり、世の中の人々がその虚像だけに興味を持たれる。作品といえば、作家にとっては子どものような存在と言われるが、口さがない人々に、丹精込めてつくりあげた作品が「ブルジョワの小曲」呼ばわりされるのは、サガンとしても面白くはない。

ますます誰にも言えない悲しみを抱え込み、孤独がサガンを覆う。浪費やアルコール、そして薬物におぼれてゆく。ますますサガンは、破滅という街道をブレーキの効かない車で猛スピードで疾走するような人生に陥ってゆく。

孤独から逃避するための愛

人気作家だからある程度、その言動や虚像に人々の目が向くのは仕方ないとしても、作家としてのサガンの不幸は、人間の本質をクールに見つめるサガンの本質を引き出すことのできる、信頼できる編集者や作家仲間と出会えなかったことなのかもしれない。あるいは、やっとそういう存在が現れようとしても、サガン自身が遠ざけてしまったことも、またひとつの不幸だ。

もし、彼女の人生のどこかの時点で、信頼できる編集者や作家仲間と出会えることができたのなら、あるいはもっとそのような存在の誰かを信頼することができたら、サガンはこんなにも孤独と悲しみのまとわりついた人生を送ることもできなかったのではないか、少なくとも多少は良い方向に軌道修正することができたのではないか、そんな今さら考えても仕方ないことが、どうしても頭を駆け巡ってしまう。


ところで、この映画は作家デビューして以降のサガンの生涯を描いているが、それ以前の子どもの時代や小説を書くまでに至るまでのサガンの人生は描かれていない。そのあたりまでを含めて描いていれば、この映画はサガンという作家をより深く理解できると思うのだが、そのあたりが残念といえば残念な点か。

最後にこの映画の中のサガンの独白からひとつの言葉を引用しよう。

「私がひそかに恐れるのは愛なく生きることだ。私が死に近づいても誰も引き留めない。心臓の鼓動を共有する人もいない。みじめだ。寄り添う肩が欲しい。そのため人は愛するのだ。孤独から逃避するために。それを意識する事こそ本当の悲しみだ」

サガンのまわりには、常にサガンの身の回りの世話を焼く誰かしらの存在がいる。しかし、その誰かとも深い愛情や信頼で結びついていたとは思えないフシがある。サガンは孤独から逃避するための愛を探し続けた人生だった。けれども、孤独は最後までサガンにとりついて離れなかった。


かつて、フランソワーズ・サガンという人間の孤独や悲しみを見つめた作家が存在した。人間の本質を見つめるサガンの眼差しは、時代が移ってもけっして色あせないものだ。

現在、サガンの作品の日本語訳はその多くが絶版となっていて、容易に入手できる本は少ない。願わくば、サガンの再評価がなされ、一冊でも多く冷静に人間の本質を見つめた本を読んでみたい。

参考

1)Yahoo!映画/『サガン 悲しみよ、こんにちは』
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『サガン 悲しみよ、こんにちは』
eiga.com


このブログ管理人のtwitterのアカウントは、nobitter73です。