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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

嘘と煙/『スモーク』

映画日記

凹凸を抱える人間が紡ぎ出す物語

映画『スモーク』は、アメリカの作家ポール・オースターが脚本を書いた作品。ニューヨーク・ブルックリンの街角にあるタバコ屋を主な舞台に、タバコ屋を営むオーギーや店にやってくる客たちが織り成す物語。

タバコ屋を営むオーギー、その店の常連でスランプに陥っている作家のポール・ベンジャミン、ポールが車に轢かれそうになったのを助けたラシードと名乗る少年。この物語は、これらの主要登場人物を中心に人生と運命の交差を描く。

個人的にはとても好きな映画だ。映画的な盛り上がりやハラハラドキドキするようなストーリー展開があるわけではない。しかし、物語が終わったあとに、ふんわりとした温かな余韻が残る映画だからだ。


この映画の登場人物たちは、パズルのピースのように凹凸(おうとつ)を持っている。その凹凸は嘘と真実であり、傷跡や欠落と言ってもいいだろう。あるいは切実に何かを求める心や、大切な何かを失って傷ついた心でもある。

ある人物がついた嘘が他の人物の傷跡を癒し、あるいは誰かが切実に求めたものが出発点となって、別の誰か自身も気づいていなかった真実をあぶり出す。ひとりの人間として、どうしようもないもの、あまりほめられたものではないものを抱えながらも、一方で自分の中の譲れない一線や習慣を保ち続けている。それがまた、別の誰かを救うことがある。

そういった凹凸を抱える人間の人生や運命がつなぎ合わされることで、物語はひとつのハートウォームな完結を迎える。失ってしまったものは二度と取り戻せないし、それによってできた傷は完全に消え去ることはない。けれども、その傷跡に誰かが手をあてて優しく温めることはできる。そういったことを伝える映画なのではないか。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

オーギーの語るクリスマス・ストーリー

この物語を語る上で、ひとつの欠かせない要素が”嘘”だろう。この物語の最後に、オーギーの語るクリスマス・ストーリーが、この物語全体を象徴している。

オーギーの経営するタバコ屋にあったポルノ雑誌を万引きした少年が落とした財布を届けるところからはじまるクリスマス・ストーリー。オーギーが財布を届けた家にいたのが、盲目の老婆だった。万引き少年はこの老婆の孫だが家にはおらず、老婆はクリスマスをひとりで迎えていた。そこでオーギーはある行為をしてしまうのだが、オーギーはそのことに後ろめたさを感じていた……。

その話をオーギーから聞いたポール・ベンジャミンは、オーギーに向かって言った。「それはとてもいいことをした」と。その言葉によって、オーギーは救われる。なぜ、オーギーの行為はいいことだったのか? その答えは、実際に本作を観ていただきたい。


映画『スモーク』の登場人物たちは、このようにみな嘘をつき、あるいは嘘をつかれ、秘密の過去を持ち、傷や欠落を抱えている。そしてなんとかそれを埋め合わせしようと願ってはいるが、その一歩を踏み出せないままでいた。あるいはその一歩を踏み出していても簡単に物事は解決せずに、むしろ混乱は収まらず、傷口は広がっていた。

それはオーギーだけではなく、ポール・ベンジャミンも、ラシードと名乗る少年も、オーギーに前に18年半ぶりに姿を現わす元恋人も、郊外でガソリンスタンドを経営する義手のサイラスも。

けれども、これらの人物たちが出会い、それぞれの人生が交差することで、嘘が真実を照らし出し、過去の秘密が現在の光の下で明らかになる。それは大いなる痛みを伴うことでもあるし、古い傷跡をえぐり出すことでもある。しかし、痛みを伴って過去の秘密や傷を共有したからこそ、確かに救済されることがあるのだ。

嘘をつかない人間はいないし、秘密を持っていない人間はいない。大なり小なり、人間は誰しも(もちろん、わたしを含め)嘘をつき、秘密を持ち、傷や欠落を抱えている。そしてまたそのことを後ろめたいことだと考えている。だからこそ、嘘や秘密が人を救い、傷や欠落を癒す、この物語が心にじんわりとしみこむのかもしれない。

タバコの煙

ところで、わたし自身はタバコは吸ったこともないし、これから先も吸わないだろう。なによりタバコの煙が嫌いだからだ。飲食店ではなるべくなら禁煙席を選ぶ。だから、タバコを吸うということが、具体的に人間にとってどういう行為なのか、いまいちわからないところがある。もちろん、だからと言って、この映画が嫌いというわけではない。

『スモーク』というタイトルどおり、この作品にはいたるところに喫煙シーンがあり、タバコの煙が立ち込めている。登場人物たちは物語を通じてスパスパとタバコを吸い、煙を吐き続ける。紙巻きたばこはもちろん、今あまりお目にかかれないような葉巻まで。

そんなふうに喫煙シーンが多いため、2016年現在の感覚からすると、いろいろな方面から(映画の本質ではないところで)クレームがついてしまうだろうなと、いらない心配をしてしまう。

しかし、公開当時の1995年当時でさえ、タバコを吸う行為に肩身の狭い思いを抱いていたようで、オーギー自身、「もうじきこんな商売、法律で禁止されちまうぜ」というセリフを冗談めかして口にしている。


タバコの煙はすぐに消え去ってしまい、この手につかむことはできない。にもかかわらず、煙は人間の身体に作用する。煙はむせるし、苦いし、目にしみる。人間の身体を病に蝕んでしまう。タバコの煙は人間にとってけっして良いものではない。

そのような煙は過去と似ている。過去の記憶、過去についた嘘、過去の出来事によって生まれた秘密。過去は我々にとって過ぎ去ったものであり、今ここで手につかむことはできない。けれども、そういった過去が記憶として我々を捕らえ続け、過去の記憶を振り返らせるとき、その苦さが目にしみて、胸の痛みを感じることもある。どうかすると、人間を蝕んでしまうことだってある。

それに加え、人間は善いことばかりするわけではないし、人生には善いことばかりが訪れるわけでもない。タバコの煙のように苦く、むせかえるような、身を蝕んでしまう出来事だって人生のうちにはやってくる。ちょっとした出来事で不用意に傷つき、そして誰かを傷つけることもある。古傷の痛みを抱え、その苦さをかみしめて、煙が目にしみるように涙を浮かべることもある。

『スモーク』というタイトルは、直接的にはタバコの煙のことを指している。しかし、それだけにとどまらず、人間が生きていく上で抱える痛みや苦さのことも示しているのではないか。とするのなら、シンプルながらも人生や人間の一面のあり方を象徴に表現したタイトルであると言えよう。

ときどき、見返したくなる一本だ。

参考

1)Yahoo!映画/『スモーク』
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『スモーク』
eiga.com


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