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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

救いようのない泥沼の中のかすかな希望のようなもの/『イカとクジラ』

映画日記

家族関係がきりきりと音を立ててねじれていく

映画『イカとクジラ』は、もともとこじれかけていた家族が、母親の浮気をきっかけに空中分解してしまい、さらに家族関係がきりきりと音を立ててねじれていく過程を描く。物語は最後まで家族の抱える問題がこじれたままで、根本的に解決するわけではない。本作のラストは明確なハッピーエンドではないし、逆に明確なバッドエンドを迎えるというわけでもない。

でも、最後の長男の行動は、ひょっとしたらこれまでとは違う地平に踏み出していく可能性を示したものではないかと思わせるところがある。そこにかすかな希望、あるいはかすかな希望の可能性を見出せるのではないだろうか。

本作にはまず、ニューヨーク・ブルックリンに住む作家の夫婦が登場する。夫のバーナードは作家だが、本はあまり売れず、不本意ながらも大学で教師の仕事に就いている。バーナードはインテリで文学や映画の知識は豊富だが、子ども相手に本気で卓球をして、教え子に手を出すなど少しずれたところがある。

一方で妻のジョーンは新進気鋭の作家として成功を収めつつある。そんなジョーンはバーナードに愛想を尽かし、まずは長男の友人の父親、そして次男のテニスのコーチと次々に浮気してしまう。本作はジョーンの浮気が発覚し、夫婦は離婚することを決意するところからはじまる。そこでバーナードが出ていき、近所に家を借りる。16歳のウォルトと12歳のフランクの息子には、父親と母親の間の家を行き来する生活が訪れる、というのが本作のストーリー。

両親の離婚と家庭の崩壊に息子たちも否応なく巻き込まれ、家族はみな少しずつおかしくなっていく。『イカとクジラ』は、家族が壊れること、それが子どもたちに良くない影響を与えることはこういうことなんだと、物語を見ていて胸が痛くなってしまう一本。けれど、その過程をくぐり抜け、長男のウォルトだけは希望の可能性を見出したかもしれない。本作を観て、わたしはそんなふうに感じた。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

イカとクジラの格闘

長男のウォルトは父親のバーナードを尊敬し、母親のジョーンを軽蔑している。冒頭では、家族がパパ組とママ組とに分かれてテニスをするシーンがある。父親バーナードには兄ウォルト、母親ジョーンには弟フランクがつく。これは家族の基本的な分裂を象徴しているのだろう。長男のウォルトは父親のバーナードを尊敬していて、作家としての才能を高く買っているが、浮気した母親を軽蔑している。次男のフランクは幼いこともあって母親につく。けれど、物語が進み、ある出来事を迎えた時点で、この単純な関係性は崩れてしまう。

作中でカウンセリングを受けた長男のウォルトは、カウンセラーにいい思い出の話をするように勧められる。そこで彼がまだ幼かった頃、母親のジョーンに自然史博物館へ連れて行ってもらったことを話しはじめる。弟のフランクが生まれる前のことだ。ウォルトは、その自然史博物館でイカとクジラの巨大な模型を見て、怖くて泣きだしたことがあったという。

ウォルトは弟が生まれる前、母親と友達みたいに一緒にいろいろなことを楽しんだと話す。授業を抜け出して映画を観たり。そんな母親と一緒に行った自然史博物館で、イカとクジラが格闘する巨大な模型を、ウォルトは恐怖を抱きながら指の隙間からやっと見た。家に帰ったあとには母親と今日の思い出の話もした。イカとクジラの模型は怖かったが、昼間ほど怖くはなかった。母親と楽しい時間を過ごしたからだ。

ところがこの楽しい思い出に、父親の姿はどこにもいなかったことにウォルトはカウンセラーに気づかされる。それはウォルトにとっては世界がひっくり返るような認識の変化だ。それまでウォルトの中では父親は尊敬できる立派な存在で、母親は軽蔑すべき存在だった。しかし、楽しい思い出には父親は存在せず、むしろ母親と過ごした時間が刻み込まれていたことに彼は気づく。もちろん、そのことでウォルトと母親の関係が修復できるわけではないが、それまでの「尊敬」「軽蔑」という単純な親子関係からウォルトが解き放たれた瞬間だ。

そのようなカウンセリングが終わり、ウォルトが父親の家に帰ると父親のバーナードが、下宿人でもある女子学生の服を脱がそうとしていた。まさにこれから愛し合おうとしていたところだ。そんな瞬間に出くわしてしまい、恋人がいるにも関わらず、その下宿人に心惹かれていたウォルトは街へ飛び出す。ところが今度は、街角で恋人の心が離れてしまったことを知る。ウォルトから信頼できる相手が誰もいなくなってしまった。ウォルトが拠って立つ世界がまたひとつ崩れ去った瞬間である。

物語の最後に近い部分では、父親のバーナードが倒れ、病院に運び込まれてしまう。病室でウォルトはバーナードとたわいのない会話をいくらか交わしたあと、ふと何かを思い出したように病院から飛び出し、自然史博物館へ向かって走り出す。そして、自然史博物館にたどり着いたウォルトは、イカとクジラの格闘模型を間近に見つめる。

この映画において、イカとクジラの格闘にはさまざまなメタファーが含まれるだろう。そのうちのひとつに父親と息子の格闘のメタファーも含まれるとすれば、このラストのシーンは、長男のウォルトが少年から大人へとさまざまなものを乗り越えて、特に尊敬一辺倒だった父親の呪縛から離れ、ひとつ成長した瞬間を切り取ったシーンだと言えるのではないだろうか。

それまでウォルトのいた少年の世界はすでに崩れ去ってしまった。その崩壊を目の当たりにし、その崩壊の現場から大人の世界へと、これからウォルトは足を踏み出して行くのだろう。ウォルトにとって、その崩壊は痛みを伴うものではあるが、それは救済と言ってもいいだろう。そこに、ウォルトが新しい世界へ進む可能性を見出せるからだ。

救いようのない泥沼にはまり込んだ弟

兄のウォルトは、イカとクジラの模型を目にすることでひとまずは救済されて、このあとの人生もそれほど大きく屈折することもなくやっていけそうではある。しかし、弟のフランクの方は、この映画の中では救われていない。フランクの抱える問題も、何ひとつ解決してはいない。

イカとクジラ』は、家族が壊れていくさまを描き、そして兄のウォルトが救済される可能性みたいなものを描いているが、弟のフランクの方はほったらかしのままである。できれば、フランクの救済の可能性の方も描いてほしかったところではある。

フランクにも楽しかった過去の思い出はあるだろうし、兄ウォルトのようにその記憶を思い出すことで、フランクをとらえていたもの、あるいはフランクがとらわれていたものから自由になることができたかもしれないからだ。

もちろん、実際には人間は簡単に救済されるわけでもないし、兄が救済されたから次は弟も、というように、上手くできているわけではない。だからこそ、映画という虚構の世界では、せめて幼い弟にも救済の可能性を見せてほしかったという気持ちがやや残ってしまう。

本作では、両親が離婚を切り出す前から、子どもたちはどこか壊れている。フランクは、冒頭からカシューナッツを鼻に入れるなど奇矯な行動をとり、またテニスの試合中やレッスン中にも汚い言葉を使っていた。夫婦の関係がこじれていることを、どこかで敏感に嗅ぎ取っていたのかもしれない。

フランクは両親が別居してから、母親ジョーンの教えを平気で破るようになる。たとえば、炭酸飲料は飲んじゃダメだと言われているにもかかわらず、缶ビールをゴクゴクと飲んでしまう。また、下品な言葉を会話の端々に使い、ああ、家族が崩壊するということは、子どもにこんな悪い影響を与えるんだなあと単純に思ってしまう。

兄のウォルトは両親との関係を「尊敬」「軽蔑」という単純ではあるが、それなりに自分でその関係性を把握している。しかし、弟のフランクはまだ幼いこともあり、純粋に両親を信頼し、尊敬している。もちろん、両親の関係がこじれて、離婚・別居してしまったことは悲劇的だと受け止め、そのことに失望はしているが、軽蔑といった感情までは抱いていない。

だからこそ、そこに悲劇が生まれる。フランクが純粋に信頼し、尊敬している両親同士の関係はうまくいっていないし、しょっちゅう罵りあい、なじりあっている。そんな両親の姿を目の当たりにすれば、幼いフランクが混乱してしまうのもわけはない。

フランクは将来の夢をテニスのレッスンプロになることだとバーナードに語る場面がある。バーナードはそんなフランクに対して、そんな二流の俗物を目指してはダメだ、(ジョン・)マッケンローや(ビヨン・)ボルグのような、一流を目指せと言う。しかし、フランクはあくまで自分のテニスのコーチみたいなレッスンプロになりたいと言う。

このフランクのテニスコーチのアイヴァン、実は母親の浮気相手でもある。両親が別居し、息子たちは一日おきに両親の家を行き来する。フランクが父親と過ごす日、フランクは父親の家を飛び出し、母親の家へ向かうシーンがある。しかし、母親ジョーンの家にいたのは、テニスのコーチのアイヴァンだった。それを機に、フランクの奇矯な行動はますますエスカレートしていく。

このままだと、フランクはテニスの一流プレイヤーにもなれず、テニスのレッスンプロにもなれないような気がする。救済される可能性もまったく感じられないフランクのことを思うとき、けっこう暗い気持ちになってしまう。フランクはこのまま、救いようのない泥沼にはまり込んだまま、成長してしまうのだろうか。そんな暗い予感さえ抱いてしまう。

反省も後悔もしない両親

父親のバーナードはかつて売れた作家であったが、今では本も売れず、エージェントも切ってしまった。不本意ながらも教師をしている。そんなバーナードが才能を持て余している様子を見ていると、たしかに怒りっぽくもなるし、そうなれば言葉遣いも悪くなってしまうのもわからなくはない。それに妻のジョーンに愛想をつかれ、別居しているので、教え子の若い女子学生についふらっとしてしまうのもわからなくはない。

ただ、このバーナードは基本的に反省も後悔もしない人物だ。作家としてなぜスランプに陥っているのか、妻がなぜ他の男と浮気してしまったのか、自分の何が悪かったのかと省みることはない。このあと、これで作家としてやっていけるのか、いささか心配なところではある。

バーナードの妻で、ふたりの息子の母親でもあるジョーンは、作家として伸び盛りのようで、このあともその性格からして作家としてやっていけそうな感じではある。ただ、ジョーンもまたバーナードと同じように、やはり過去の出来事を反省したり、自己を省みたりすることはしない。その意味では、バーナードとジョーンは似た者夫婦ではある。ただ、妻として、そして母親としてうまくやってはいけそうでもない感じがしてしまう。

父親も母親も、自分のことや相手をなじることに手いっぱいで、ウォルトやフランクにちゃんとした愛情を注げていないようにも見える。もちろん、本人たちにとっては自分の子どもだから、それなりにきちんとやっていると思っているフシはあるが。しかし、だからこそフランクはだんだんおかしくなり、突飛な行動をとってしまうのだろうとも思う。

物語の最後でバーナードは入院してしまうが、妻でありふたりの息子の母親でもあるジョーンは、果たして病院に見舞いに行ったのだろうか? また、母親ジョーンの浮気相手との関係はこのあとどうなったのだろうか? そして、フランクの悪癖は良い方向に向かったのだろうか? いろんな疑問を観る者に抱かせたまま、物語は終わる。

参考

1)Yahoo!映画/『イカとクジラ
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『イカとクジラ
eiga.com

3)Filmarks/『イカとクジラ
filmarks.com

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