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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

不思議で魔術的な魅力/8月のまとめ

人はなぜ、映画を観るのだろうか

人はなぜ、映画を観るのだろうと、ふと思った。
当たり前だが、人が映画を観る理由など、人の数だけある。

質問を変えてみる。

わたしはなぜ映画を観るのだろう。
これなら、なにかしらの答えが見えてくるだろう。


わたしの場合、子どもの頃のドラえもん映画が最初の映画体験だった。その中でも特に『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』が大好きだということは、このブログの最初の記事に書いた。

2016年1月2日更新:友情と勇気を持って不正義へ立ち向かえ/『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160102/1451704162

映画内映画の不思議で魔術的な魅力

『宇宙小戦争』は、冒頭でのび太スネ夫ジャイアンが自分たちで特撮SF映画を撮影しているところからはじまる。スネ夫がビデオカメラを手に入れたからだ。その後、例によってのび太スネ夫ジャイアンのチームから追い出され、ドラえもんに泣きついて道具を出してもらい、しずかちゃんと一緒に映画の撮影をはじめる。

撮影が佳境に入ったところで、のび太スネ夫たちの撮影具合を確かめるために、スネ夫の家の庭をこっそりとのぞく。そこには出来杉くんが加わったおかげで、大規模な特撮用のセットが組まれていた。それだけではなく、空中を戦闘機が飛んでいるように見せるための装置や、爆発シーンを撮影するための起爆装置まで作られていたのだ……。

ドラえもんの登場人物たちが映画撮影に奔走するこれらのシーンを観て、子どもだったわたしはわくわくと胸を躍らせたものだ。のび太スネ夫たちが映画をつくることに傾ける情熱と、ドラえもんの道具やスネ夫の財力に頼りつつも、自分たちの手である程度まで映画を作り出したことに、感動に近い感情さえ抱いた。

そして、映画というものは機材や道具、そして登場人物やストーリーがあれば、子どもでも作れるのだとも思った。もちろん、実際には映画撮影などそう簡単にできるものではないが、『宇宙小戦争』の中に出てきた映画内映画(のび太スネ夫の作った映画)が、不思議で魔術的な魅力を持って見えたのだ。

幻灯機の魅力

映画はそれ自体、わたしたちの生活とはかけ離れた非日常の世界を映し出すものでもある。映画が上映されている間、スクリーン(あるいはディスプレイ)に映し出される、日常生活では起こりえない非日常の世界にわたしたちは心を奪われ、喜怒哀楽の感情を抱く。そこにあるのは、まったく架空の出来事であるにもかかわらず。

非日常の世界を映画という形式で作り出すことは、ある意味で魔術的な行為なのではないだろうかとさえ思ってしまう。人物、セリフ、行動、展開、設定、ありとあらゆるものが、魔術的な力を持って、わたしたちの心を揺さぶるのだ。そしてなにより驚異的なのが、それらがみな人間の手で作られているのだ。

そういえば、たしか『ドラえもん』か『おばけのQ太郎』の漫画だったと記憶するが(とにかく藤子不二雄作品だ)、その中で幻灯機の作り方が紹介されていたいた、幻灯機とは、空き缶やボール紙や電球などの身近にある材料でつくる、簡易な映写機みたいなものだ。

幻灯機が映し出すのは、映画のフィルムだけではない。幻灯機の後ろ側の窓に、何か写したいものを持ってくる。手のひらでもいいし、果物や文房具でもいい。すると、幻灯機の前についているレンズを通して、壁に貼ったスクリーンにその何かが大きく引き伸ばされて映し出される。子どもの目からすれば、それはあたかも魔法をかけられたかのようにさえ思える出来事である。

わたし自身は幻灯機を作ったことはないし、幻灯機が何かものをスクリーンに投影するところを見たことはない。それでも、漫画の中のキャラクターが大いに心を震わせて感動し、喜んでいる姿を見て、わたしも同じように心を震わせて感動し、喜んだのだ。

この幻灯機、作ってみたかったのだが、けっきょくなかなか作れずに今に至る。インターネットで材料や作り方を検索すれば、漫画に登場した幻灯機よりももっと簡単に作り出すことができるかもしれないが。

とにかく、わたしたちが日常的に目にするものでも、幻灯機を通してスクリーンに大きく映し出せば、非日常的な様相を見せる。魔法をかけられたかのような、それまでとは違った姿にわたしたちは心を揺り動かされ、心をとらわれてしまう。

身の回りにあるものでさえそうなのだから、人の手で作り出された人物や舞台設定にストーリーが加われば、スクリーンに映し出されるものに心を奪われないわけがないだろう。人物もセリフも舞台設定も人の手で作り出されたにもかかわらず、あたかも魔術的な力を持って、わたしたちの心や感情をつかみ、揺さぶる。魔法にかけられたわたしたちは、スクリーンやディスプレイの前で映画を観てしまうのだ。

わたしが映画を観るのは、魔法にかけられるためなのかもしれない。

8月のまとめ

2016年8月に更新した記事は3本でした。

8月6日更新:救いようのない泥沼の中のかすかな希望のようなもの/『イカとクジラ
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160806/1470472562

この映画は、母親の浮気をきっかけに、家族が壊れていく様子を描く映画。両親の離婚と家庭の崩壊に息子たちも否応なく巻き込まれ、家族はみな少しずつおかしくなっていく。長男はなんとかその崩壊の過程をくぐり抜け、救済のきっかけみたいなものをつかんだところに、かすかな希望を見た。


8月11日更新:青い空が戦争の傷跡を見つめる/『長屋紳士録』
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160811/1470916049

終戦直後の”拾い子”をめぐる人情喜劇。物語の最後では、ほっとした気持ちを抱いたわたしたちの目の前に戦後すぐの現実が映し出される。その現実は、戦後の東京に残された戦争の生々しい傷跡だ。映画を見終わったあとも、その傷跡がわたしたちの心をざわざわとさせる。

なお、この日は祝日だったので、特別版として更新。終戦記念日が近いこともあり、終戦直後の東京を描いた『長屋紳士録』を取り上げた。


8月20日更新:俺はセクシーなデブなのさ/『スクール・オブ・ロック
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160820/1471657000

ニセ教師が子どもたちにロックを教える物語。暗い表情、不安な表情を浮かべていた子どもたちが、最後には楽しそうで晴れやかな表情を浮かべるのが印象に残る。そもそもが、たまった家賃を支払うためという私利私欲に突き動かされたさえない男が本気で奮闘するからこそ、滑稽さと悲哀さから生まれる真剣さが胸に迫る。


8月21日更新:お前も真剣に闘っているか? 子どもたちが応援したくなるくらいに/『ナチョ・リブレ 覆面の神様
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160821/1471743244

『ナチョ・リブレ』のストーリーは単純明快で、ベタと言えばベタな展開。子どもたちによりよい食事を食べさせるために、覆面レスラーとして奮闘する男の奮闘を描く。主人公はイケメンでもない、スタイルも良くない、プロレスラーとして強いわけでもない。でも、自分の力の限り闘っている。その姿に思わず応援してしまう。

スクール・オブ・ロック』と『ナチョ・リブレ 覆面の神様』は、夏の特別版として、ジャック・ブラックが主演する2本の記事を更新。真夏にふさわしい熱い男の物語。


それぞれの記事には、yahoo!映画と映画.com、そしてFilmarksへのリンクがあります。あらすじなどの参考にどうぞ。


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