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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

わたしが映画館に行かない3つの理由/9月のまとめ

今月のまとめ

邦画のヒット作が多い2016年

今年は(と言っても、まだ3か月残ってますが)、Twitterのタイムラインを見ていても、映画館に足を運んだ人をよく見かけますね。『ちはやふる』『シン・ゴジラ』『君の名は。』などのヒット作に恵まれたことが大きいのだろう。

折に触れて邦画はつまらないとかなんだかんだ言われますが、これだけ話題になって、しかも面白いという評判がたくさんTwitterなどでも聞かれるのは、とてもいいことじゃないでしょうか。

ところで、わたしは映画館にはめったに行かない上に、邦画自体をあまり観ないので、上記のヒット作はまだ観ていない。ただ、これだけたくさん話題になっているのだから、それらの映画はきっと面白くて、多くの人々の心をとらえる何かがある映画なのだろう。わたしだって、ちゃんと観てみたらものすごくハマって、感想を熱狂的にTwitterへ書き込むかもしれない。

さて、話がいきなり脱線しましたが、今回のテーマは「なぜわたしは映画館に行かないのか」。先に、わたしは映画館にはめったに行かないと書きました。なぜそうなのか理由はいくつかありますが、その理由を挙げてみると、次のようになるかと思います。

わたしが映画館に行かない3つの理由

1)トイレに行くのが面倒くさいから

いきなり生理的な理由です。

自宅でレンタルしてきたDVDやネット配信の映画を観ている時にトイレに行きたくなったら、一時停止してトイレに行ける。これが映画館だったら、他の席のお客さんに気をつかいながら、そっと座席の間を歩いてトイレまで行かなきゃいけない。戻ってくる時も同じように、他のお客さんの邪魔にならないように最大限に気をつかわなければならない。

しかも、DVDのように映画を一時停止できるわけでもないから、映画の内容が途切れてしまう。ひょっとすると、トイレに立った間にその映画の重要な山場だったりするかもしれないし、あるいは重要な伏線が張られる場面かもしれないのに、トイレに立ったがゆえにそれを見逃してしまうことだって考えられる。それを考えたら、一時停止できない映画の途中でトイレに立つのは、大きな損失を抱えるリスクがあると言えるのではないか。


2)好きな格好で観ることができないから

映画館だと、基本的に椅子に座って鑑賞することになる。椅子に座っていた方が実は楽かもしれない。けれどもたとえば、自分の座席にある左右のひじかけが、左右のお客さんの腕で埋まっていたりすると、とたんに腕の持って行き場がなくなって窮屈な思いに打ちひしがれてしまうことだって、ないとは言えない。

これが自宅だと、ごろごろ自由に寝転んで観ることができる。ベッドだろうがソファだろうが畳の上だろうが、DVDが再生できるかネットを見ることができれば、フリースタイルで映画を鑑賞することができる。寝転がろうが、ヨガをしようが、逆立ちしようが、自由な格好で映画を観ることができる。できるだけ、映画は楽な姿勢で見た方がいいということです。


3)自宅の方が好きな映画を好きな時間に観ることができるから

わたし個人の話をすると、新作の映画をいち早く映画館で観てみたい! と思うことが、あまりない。世間で話題になっているから観てみるか、ということもあまりないし(多少興味はわきますが)、好きな監督や俳優の最新作でも、どうしても映画館で新作を観なければ! ということもあまりない。

よほど好きな監督の最新作で、その内容によほど興味があれば映画館に足を向けるだろうとは思いますが。

そもそも、自分の好きな映画や興味を持った映画を、自宅でDVDやネット配信で、自分の好きな時間に観ればいいや、という気持ちの方が大きい。それに、好きな映画や興味を持った映画は、映画館で新作として上映されるものよりも、過去の作品の方が圧倒的に数が多いということもありますが。

これが映画館だと、どうしても時間を拘束されてしまう。何時何分から上映だから、何時何分までに用事を片付けなきゃいけない、そんなことを考えるのが面倒くさいということです。


わたしが映画館に行かない理由として大きなものは、以上の3つの理由でしょうか。あと、細かいところとしては、自宅だと自由に飲み物や食べ物が楽しめるとか、映画館で空腹のせいでお腹が鳴ったら恥ずかしいとか、そういうこともありますね。

まあ、絶対に映画館に行かない! と心に決めているわけでもないので、こんなことを書いた翌日くらいに、ぶらっと映画館に行ってるかもしれません。。。

あと、今回の記事のタイトルは、はてなブログによくあるスタイルにしてみました。「死ぬまでに絶対に見ておくべき10本の映画」とか、「映画を観る時にあると便利な5つのグッズ」とか、はてなブログによくある、そういう記事のタイトル。わたしも一度、そういうスタイルのタイトルをつけてみたかっただけです。

『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめ

2016年9月に更新した『誤読と曲解の映画日記』の記事は3本でした。

9月3日更新:大いなる徒労と疲弊/『ビッグ・リボウスキ
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160903/1472893102

うだつのあがらない中年男リボウスキは、同名の大富豪リボウスキから誘拐事件の解決を頼まれる。虚構の上に虚構が重なる混乱と混沌の物語。中年男リボウスキは虚構と混乱をくぐり抜けて再び日常へと戻ってくるが、これからも同じところをぐるぐるとまわりながら、どこかにたどり着くようには見えない。そのことに、どこか物悲しさが残る。


9月17日更新:現実と非現実の曖昧な境目/『スイミング・プール
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160917/1474101889

主人公のミステリ作家サラが過去の自分と決別し、新しい自分に生まれ変わる軌跡をたどる物語。どこまでが現実で、どこからが非現実なのかわからないところが、この物語の一番の特徴。現実と非現実の境目が曖昧ではっきりしないところに、わたしたちは戸惑い、不安さえ抱いてしまう。いくらでも解釈の余地のある作品だが、それだけに味わい深さもある。


9月22日更新:一瞬しか訪れないからこその幸福と愛情/『きみに読む物語
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160922/1474547525

純愛を貫いたひと組のカップルの生涯を描く物語。人間は年齢を重ねて老いることは避けられないし、認知症にかかって何もかもを忘れてしまうことだってある。でも、一瞬しか訪れない記憶だからこそ、ある意味での永遠の幸福と愛情というものは確実に存在することを描いている。


それぞれの記事には、yahoo!映画と映画.com、そしてFilmarksへのリンクがあります。あらすじなどの参考にどうぞ。

メインブログ『誤読と曲解の読書日記』の紹介

このブログ『誤読と曲解の映画日記』は、管理人”のび”の映画鑑賞日記です。

このブログの記事、人によっては多少長いと感じるかもしれません。まあ、自分だって、こんなに長々と書かなくてもいいよなあとは思いながら書いているのですが。もう少し、コンパクトに書けないものかと自分でも思うほどです。

ただ、映画との出会いは、一期一会みたいなものだし、そのときに何を見たのか、どんなことを感じて、どんなことを考えたのかというのは、そのとき一回しかない。だからそれを記録しておこうと思い立ってはじめたブログです。もちろん、好きな映画など何度も観る映画もいくつかありますが。

だから、観るのが一回きりになるかもしれない映画を観て、感じたこと考えたことを残しておこうとブログをはじめました。言ってみれば、このブログは自分のためにつける映画鑑賞の記録ノートみたいなものです。できるだけ、簡潔な文章を心がけますが。。。


ところで、わたしはもうひとつブログを運営しています。『誤読と曲解の読書日記』という名前で、数年前から細々と運営しています。むしろ、こちらの読書ブログの方がメインのブログという位置付けで、この映画ブログのタイトルもそこに由来しています。

もともと『誤読と曲解の読書日記』は、はてなダイアリーにありましたが、このほどこちらのはてなブログに引っ越しました。この読書ブログ、基本的には気の向いたときに更新する、とのスタンスで運営していましたが、その更新もこちらでも毎月末に紹介することにしました。

ご興味のある方は、ぜひご笑覧ください。今後とも、この映画ブログともどもよろしくお願いいたします。

誤読と曲解の読書日記:http://nobitter73.hatenadiary.jp

『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめ

『誤読と曲解の読書日記』は、管理人の”のび”が運営する、読書の感想を書くブログです。ご興味がありましたら、ぜひご笑覧ください。2016年9月に更新した記事は3本でした。


9月3日更新:中上健次やジャズを知らなくても/中上健次『路上のジャズ』中公文庫
記事リンク:http://nobitter73.hatenadiary.jp/entry/20160903/1472892583

中上健次のジャズに関するエッセイを中心に、詩や短編小説を一冊にまとめたもの。飢えた心を抱えながら1960年代の新宿で生きる、若かりし頃の中上健次の軌跡をたどることができる。

ここに描かれている”飢えた心”は、今を生きるわたしたちも、ヒリヒリとした痛みや切実さとして抱えているはずだ。『路上のジャズ』は、中上健次の小説なんて知らなくても、あるいはジャズを知らなくても、ヒリヒリとした痛みや切実さ、そして餓えた心を抱えた人に、きっとヒリヒリとした何かが響く一冊。


9月17日更新:まるで悪夢を見るような虚構/S・ミルハウザーエドウィン・マルハウス』河出文庫
記事リンク:http://nobitter73.hatenadiary.jp/entry/2016/09/17/175533

本書はアメリカの作家スティーブン・ミルハウザーの長編小説第1作目。本書は「子供によって書かれた子供の伝記」(訳者あとがきp526)の形式をとった小説である。本書は子どもの世界を描いたものだが、そこにはわたしたち大人が想像するような、単純な明るい世界は描かれていない。

むしろ、その根底にはほの暗いもの、もっと言えば死の匂いさえ漂う。ほの暗いものや死の匂いが、本書に登場する子どもたちを次々に連れ去り、奪ってしまう。本書は、読書という行為を通じて悪い夢を見ることを、わたしたちに疑似体験させている。


9月29日更新:馬鹿のバイブル、爆笑の爆弾/フィリップ・ロス中野好夫常盤新平訳)『素晴らしいアメリカ野球』新潮文庫(村上柴田翻訳堂)
記事リンク:http://nobitter73.hatenadiary.jp/entry/2016/09/29/221333

本書は解説の井上ひさしが「馬鹿のバイブル、爆笑の爆弾」と表現したような、めちゃくちゃな長編小説だ。アメリカの偉大さ、強さ、正しさへの幕引きを図った物語だが、正面切って「その理念は本当に正しいのか?」と、真面目に異議申し立てをしているわけではない。

表面上はナンセンスと悪ふざけにあふれた小説だ。だからこそ、ナンセンスと悪ふざけの濁流に身を任せて、一気に読むことをお勧めする。背景や元ネタを知らなくても、そこから教訓や変化や成長を読み取らなくても、過剰に押し寄せてくるナンセンスと悪ふざけの濁流にただ身を任せることでしか得られない類の読後感というものがあるはずだからだ。


それぞれの記事には、それぞれの本について、出版社ホームページとブクログへのリンクがあります。


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