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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

想像力をいったん脇に置いていても/2016年10月のまとめ

今月のまとめ

戯曲を読むのが苦手

最近、ちょこちょこっとシェイクスピアの作品を読み返しています。昔読んだものを読み返したり、今になって初めて読んだりするものもあります。

みなさんご存知のように、シェイクスピアの”作品"を読むことは、戯曲を読むことですね。戯曲とは、簡単な舞台(場所や時間)の説明があって、その次に人物名とその人物のセリフを次々に書いているシナリオのこと。

わたし自身、戯曲を読むのは苦手です。小説とは違う脳の部分を使っているような気がするから。それは、小説の「地の文」と、戯曲の「ト書き」では、何かが根本的に違うような気がするから、というような気がします。
Factory Theatre

想像力をいったん脇に置いていても

小説なら地の文で場所や時間、人物の顔立ちや服装、それに性格や考えまで描写する(場合が多い)。戯曲の「ト書き」は、場所や時間などは説明するけれども、登場人物の行動をあっさりと説明しているだけなので、その行動の元になっている考えや感情、あるいは人物の性格など、あまり説明されないように思えるのです。あくまでも、登場人物の言動から、ああ、そういうことなのかなと想像するしかない。

「ト書き」だと、人物の行動の根拠になっている考えや感情が、小説に比べて説明不足に感じるから、わたしは戯曲を読むのが苦手なのかと考えることがある。もちろん、小説だってそれらすべてを描写しているわけでもなく、読者の想像力に委ねている場合も多々ありますが。

また、戯曲は演出された舞台の上で役者が演技するまでが、ひとつの完成形であるのに対し、小説は本そのものが完成形であるというのも理由なのかもしれない。戯曲は骨組みだけを眺めているので、そこから完成された舞台を想像しなければならないのが、けっこう労力を必要となるのではないか。つまりは、戯曲を読むために費やす想像力が、小説と比べて圧倒的に多く必要とされるからではないか、という気がします。

とにかく、わたしが戯曲を読むのが苦手な理由は、小説に比べて想像力がより必要とされるから、みたいなところに落ち着くのかなと。単に戯曲に対する苦手意識が先立っているだけということもあるかもしれないけれども。

一方で、戯曲(シナリオ)を基にした映像作品である映画は気楽に観ることができますね。それは、戯曲という骨組みを基に、登場人物や場面を作り上げているので、そういった作り手側の想像力に安心して、わたしたち観客は身を委ねることができるのだろうと思うから。作り手側の想像力があふれる画面を集中して観ていれば、わたしたちの想像力をいったん脇に置いていても、充分その世界に没頭できるという映画を作る人って本当にすごいなというところです。

もちろん、映画を観終わったあと、あの人物はなぜあんな行動をとったのだろう、あんなことを口にしたのだろうと、今度はわたしたちの想像をめぐらせる番ですが。

『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめ

2016年10月に更新した『誤解と曲解の映画日記』の記事は3本でした。

10月1日更新:うぉぉぉ!!! ウ◯コまみれのトイレきたねぇぇぇ!!!/『トレインスポッティング
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20161001/1475319600

ヘロイン中毒の青年マーク・レントンが、クスリを立って新しい人生を切り開こうと奮闘する姿を描く物語。もちろん、薬物を断つのは一筋縄ではいかないので、そこに苦闘があり葛藤がある。

”友達"と称して自分をダメにするような奴とは関係を断ち切らなきゃダメだ。そうでないと、一生をウ◯コまみれのトイレで過ごすことになるだろう。映画『トレインスポッティング』が、わたしたちにむかって叫ぶメッセージはそれだ。


10月15日更新:どんなに背伸びをしようとも/『おいしい生活
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20161015/1476529200

パッとしないコソ泥のレイと、その妻のフレンチーの物語。ふたりはコメディ的な銀行強盗計画から、ひょんなことで大金持ちになってしまう。人間にとって向上心や向学心、新しい知識を身につけることは大事だが、それは地に足のついたものでなければならないのかもしれない。どんなに背伸びをしようとも、けっきょく自分は身の丈にあった自分でしかない。そこから幸せを探し出すしかないことを描いている。


10月29日更新:歯ブラシとタバコとわずかな持ち物/『コントラクト・キラー』
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20161029/1477738800

人生に希望を見い出せなくなった主人公のアンリが自殺を決意し、殺し屋・”コントラクト・キラー"に自分を殺すことを依頼する。アンリが死を望んだ瞬間から、彼の運命は大きく方向を変えてゆく。緊迫感の中にあるずれたところが、いっそうおかしさをもたらす。

アンリがもともと持っていたずれや、アンリに関わる人々や状況の持つずれが少しずつ重なる。そのちょっとしたずれが重なり合い、つながることで、最後には主人公のアンリでさえも思っても見なかった地点へとたどり着く。


それぞれの記事には、yahoo!映画と映画.com、そしてFilmarksへのリンクがあります。あらすじなどの参考にどうぞ。

『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめ

『誤読と曲解の読書日記』は、管理人の”のび”が運営する、読書の感想を書くブログです。ご興味がありましたら、ぜひご笑覧ください。2016年10月に更新した『誤読と曲解の読書日記』記事は3本でした。


10月3日更新:伊東マンショ肖像画遠藤周作『王の挽歌』(上下巻)新潮文庫
記事リンク:http://nobitter73.hatenadiary.jp/entry/2016/10/03/220052

これは宮崎県立美術館で開かれていた伊東マンショ肖像画公開に行ったときの日記。遠藤周作のことにも言及しています。伊東マンショは、天正遣欧使節団のリーダーを務めた少年。豊後の大名だった大友宗麟の遠縁にあたる。


10月21日更新:不完全で儚い存在/河合祥一郎シェイクスピア 人生劇場の達人』中公新書
記事リンク:http://nobitter73.hatenadiary.jp/entry/2016/10/21/200000

本書はシェイクスピアの描いた戯曲の読み方のコツやテクニックを直接的に解説するわけではない。けれども、読み終わったあとにはシェイクスピアの戯曲に描かれた世界が、より豊かにぐんと広がって見えるはずだ。

本書を通じて、シェイクスピアの戯曲の背景を支える彼の哲学や問題意識が、今の時代を生きるわたしたちにも切実に迫ってくる。本書はシェイクスピアの世界をより深く、より豊かに理解できる一冊だと言えるだろう。


10月28日更新:一生抱えていかざるを得ない痛み/ジェイムズ・ディッキー(酒本雅之訳)『救い出される』新潮文庫(村上柴田翻訳堂)
記事リンク:http://nobitter73.hatenadiary.jp/entry/2016/10/28/200000

男たちが川下りの途中で陵辱と暴力にさらされ、そこから逃れる物語。悪から逃れて生き延びるため、男たちは悪を犯さざるを得なくなる。生き残り、逃げのびて、救い出されるために、人間を殺さなければならなかった。そのあたりの切実さ、切迫感、緊迫感が、物語の先を読ませる推進力になっている。

読後感はさわやかなものではない。むしろ、自分の身体の奥深いところでずきずきとうずくような痛みを感じるかのようだ。おそらくはそんな痛みを、主人公の「ぼく」と仲間たちは、一生抱えて生きていくのだろう。その痛みは、心の奥底に居ついた川となって、一生流れ続けるのだ。


それぞれの記事には、それぞれの本について、出版社ホームページとブクログへのリンクがあります。


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