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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

邪悪な存在に絡め取られた才能/『バートン・フィンク』

映画日記

バートンの才能を削り取った三人の男たち

映画『バートン・フィンク』は、ひとりの才能あふれる劇作家の若者が、邪悪な存在に触れ続けてしまったことで、その邪悪さにからめ取られてしまった物語と言えるだろう。ひとりの才能あふれる若者は、永遠に凡庸の枠に閉じこめられてしまった。もう二度とそこから出られることはないだろう。そういう意味で、非常にグロテスクで後味の悪い一本だ。

この物語は、ニューヨークの劇作家バートン・フィンクなる人物が主人公。バートンは庶民の生活を描いた演劇で高い評価を受けている。けれども彼自身は、もっと良い作品を書きたいと望んでいた。もっと社会の片隅に生きる人々の生活を描きたい、と。

そんなバートンにハリウッドの映画会社から声がかかる。映画の脚本を書く仕事を依頼されたのだ。バートンはしぶしぶながらもロス・アンジェルスにまでやってくる。そこで映画会社の社長から依頼されたのは、B級レスリング映画の脚本。バートンは困惑する。それは自分の書きたいものではないからだ。

それでもバートンは滞在先のホテルで脚本の執筆に取りかかる。うだるような暑さに支配されたホテルの部屋。あまりの暑さに壁紙の糊が溶け、壁紙が剥がれてしまうほどだ。そんな部屋で執筆をはじめても、バートンはまったく何も書けずに苦悩するばかり。そんなとき、バートンは隣の客室に滞在している保険外交員チャーリー・メドウズと出会う。チャーリーの人懐っこさもあって、ふたりは意気投合するが……、というストーリー。

筆が進まずに苦悩するバートンは、三人の男たちと出会う。三人の男たちは、みな親切そうな表情を浮かべているが、その顔の下に冷酷さや残忍さを隠し持っている。あるいは邪悪さとも言えるだろうか。バートンは三人の男たちの邪悪さに少しずつ冒されて、その才能を削り取られ、激しく損なわれてゆくのだ。

まず、いちばん邪悪な人間といえば、保険外交員チャーリーだろう。人懐っこい笑顔を常に浮かべ、バートンの話に耳を傾け、バートンの信頼を得てしまう。次にB級レスリング映画の脚本を迫る映画会社の社長。そして、酒浸りで小説家P・W・メイヒュー。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

虚像と殺人

脚本が書けずに苦悩するバートンは、尊敬する小説家P・W・メイヒューと偶然にも出会い、執筆についてのアドバイスを求めた。メイヒューなら事態の打開策やヒントを与えてくれると信じたからだ。ところが、メイヒューは酒に溺れては秘書のオードリーに怒鳴り散らし、あるいは泣きわめく男だった。バートンはそんなメイヒューの姿を目の当たりにし、深く失望してしまう。

バートンの筆はさっぱり進まない。追い込まれたバートンは、メイヒューの秘書オードリーにすがるように助けを求める。メイヒューを支えていた秘書に打開策を聞き出すために。ところがそこで、小説家P・W・メイヒューの作品のうち、いくつかは秘書のオードリーが書いたものだとバートンは気づく。バートンは徹底的に打ちのめされてしまう。

落ち込んだバートンは、彼女と一夜を共にしてしまう。ところが、バートンは翌朝、ベッドで血まみれになったオードリーの死体を発見してしまう羽目になるのだ。この物語の最大で最悪な事件。バートンは驚き、焦り、混乱し、パニックに陥る。

メイヒューとオードリーをめぐるこれらの一連の場面は、バートンの抱えていた理想像がもろくも崩れ去った場面と考えられるだろう。バートンはメイヒューに作家としてこうあるべきとの理想や信念を重ねていた。けれども、実はメイヒューは酒浸りで才能が乏しいという事実を突きつけられてしまう。理想像は虚像に過ぎなかったのだ。

メイヒューの才能を支え、作品を生み出していたのは、秘書のオードリーだった。その事実を聞き、バートンは最後の頼みの綱として彼女にすがる。けれども、一夜を共にし、深く眠り込んでしまったバートンの隣で、彼女は無残にも何者かによって殺されてしまった。殺人という激しい暴力によって。

バートンはメイヒューと出会ってしまったがゆえに、虚像と激しい暴力にさらされた。そして虚像と暴力に触れてしまったことによって、バートンの才能もまた修復不可能なほどに激しく傷つけられてしまった。それは才気あふれていたバートンからすれば、脚本家としての才能が修復不可能なほどに大きな損傷を与えられたも同然だと言えるだろう。
Keyboard Retired

人懐っこい笑顔を浮かべたデブ

この物語でもっとも邪悪な人間といえばチャーリーだ。チャーリーはバートンの滞在するホテルの部屋の隣室の客。結論から言えば、バートンはこの男と深く関わるべきではなかった。けれども、バートンはこの男を深く信頼し、そのために才能を深く傷つけられた。修復不可能なほどに。

保険外交員で全米のあちこちを回っているというチャーリーは、仕事上の悩みを打ち明けるバートンとすぐに意気投合し、仲良くなった。チャーリーはとても太った男だが、時おり浮かべる人懐っこい笑顔が印象的。そのような笑顔を浮かべるデブに悪い人はいないよねと言われると、思わず「うん」と納得してしまいそうなほどだ。バートンの書けないという悩みに耳を傾け、バートンの理想に深く共感するチャーリー。そんな男にバートンが信頼を置くのも納得できる。

だから、オードリーの死体を発見したバートンはチャーリーに助けを求める。オードリーの死体をどこかへと隠したチャーリー。そんなチャーリーは仕事の都合でニューヨークにいったん戻るとバートンに告げ、自分の大事なものだとひとつの包みをバートンに預ける。ひと抱えはある大きさの箱のような包み。包み紙と紐をかけられ、中身はわからない。チャーリーはそんな箱を、ここに戻ってくるまで持っていてくれとバートンに頼むのだ。バートンは快く引き受けてしまう。なにしろ、オードリーの死体を片付けてもらったからだ。

バートンはチャーリーに心を寄せ、信頼してしまう。仕事の行き詰まりの苦悩を聞いてもらい、また理想を語って共感を得た。チャーリーを信頼しきったところで殺人事件が起こり、チャーリーに死体を片付けてもらったことで負い目と秘密ができた。バートンはチャーリーという男に、すっかり絡め取られてしまったのだ。

炎によって焼き尽くされてしまった才能

チャーリーがバートンの元を去ったところに刑事が二人やってくる。そこでなんと、チャーリーという名前は偽名であること、本当はあちこちで何件もの殺人を犯している殺人鬼だと判明してしまう。刑事からチャーリーの写真を見せられたバートンは、こんな男など知らないとこたえる。警察にチャーリーのことを話せば、オードリーが自分の隣で殺されていたことも話さなければならなくなってしまう。そうなれば、自分もまた殺人犯だと疑われてしまうし、そうすれば最悪の場合、バートンが縛り首になってしまうからだ。

けれども、そんなことでごまかされる刑事たちではない。刑事たちはバートンの部屋のベッドに、大量の血の跡を発見してしまう。そこへ今度はチャーリーが戻ってくる。ここから、物語は現実を超える非現実な出来事が起こる。

ホテルの廊下を歩くチャーリー。チャーリーの歩きに合わせるように、彼の後ろから炎も一緒にやってくるのだ。廊下や両側の壁を炎が徐々に広がってくる。チャーリーは激しい炎に燃え盛るホテルの廊下を歩いてくる。二人の刑事はチャーリーに立ち向かうが、チャーリーは刑事たちを撃ち殺してしまう。そして、バートンに微笑みかけ、燃え盛るホテルの自室へと姿を消してしまう。

人懐っこい笑顔を浮かべ、バートンの苦悩を親身になって聞いていたチャーリーが、実は殺人鬼だった。おそらくはオードリーを殺害し、そしてメイヒューまで手にかけたと思われる。バートンは信じられないような表情を浮かべるが、最後まで刑事にチャーリーが滞在していることを明かすことはなく、チャーリーを糾弾することもなかった。

ここで炎が燃え盛る意味はなんなのだろう。チャーリーは底知れぬ邪悪さを抱えた人物。悪そのものと言っても良いだろう。人懐っこい笑顔の裏に隠された悪に触れ続けたバートン。その悪に触れ続けたことによって、才能は損なわれ続け、最後には徹底的に炎によって焼き尽くされてしまった。燃え盛る炎は、そういったことを示しているのではないだろうか。
Fire

不気味で薄ら寒ささえ感じるフィルム

B級レスリング映画の脚本を迫る映画会社の社長は、ロス・アンジェルスにまでやってきたバートンがを熱烈に歓迎する。この社長、とりあえずバートンの才能を高く買っているようだ。他の役員や社員たちが、いつまでたっても脚本の書けないバートンを叱責しても、バートンを真の芸術家だと評価し、むしろ役員や社員に怒りをぶつけ、最後にはクビにしてしまうほどだ。

けっきょく最後に、バートンはなんとか「魂とのレスリング」なる観念的な脚本を書き上げる。しかし、映画会社の社長はそんな脚本を採用するわけもなかった。ついに社長は、バートンを激しく罵倒し怒りをぶつける。

そもそも、この映画会社の社長は、本当にバートンの才能を正当に評価していたのだろうか? 話題になっている新進気鋭の脚本家バートンに脚本を書いてもらえば、それだけで話題になって、B級レスリング映画の観客が増えるかもしれない。社長がバートンを高く評価する裏では、そんな思惑があったとしてもおかしくはない。そんな思惑に巻き込まれ、B級レスリング映画の脚本に没頭してしまうことで、バートンは才能をすり減らしていったとも言える。

バートンが才能をすり減らしたといえば、B級レスリング映画の脚本が書けないバートンに、映画会社の社長がひとつのフィルムを見せる場面がある。なんでもいいからレスリング映画を一本見れば、そこからイマジネーションが湧きだし、脚本が書けるだろうとの魂胆だ。そこでバートンが見せられたのは、まだ編集される前の、リングの上で二人の覆面レスラーが格闘する場面を撮影したモノクロフィルムだ。

観客席のあるべき部分は暗黒に染まり、客の姿は誰ひとり見えない。覆面レスラーたちは凡庸な技の掛け合いを何度も繰り返す。いかにも台本にそう書いてあるかのような雄叫びをあげ、技をかけあう。編集前なので、何度も同じ場面、同じ雄叫びが繰り返される。見るからに不気味で薄ら寒ささえ感じるフィルムだ。

たとえ、そのフィルムが映画作品として完成しても、恐ろしくチープでつまらなさそうな凡庸極まりない映画になってしまうだろう。そんなフィルムをバートンはひとり映写室でじっと見つめる。まるで、なにかにとらわれたみたいに。あるいは、モノクロの不気味で薄ら寒ささえ感じるフィルムに、その才能を吸い取られてしまったようにも思えて仕方ない。

凡庸な構図と凡庸な筆致で描かれた凡庸な絵画

バートンの滞在したホテルの部屋にひとつの絵がかけられていた。バートンは執筆に行き詰まると、心惹かれるようにその絵をじっと見つめる。部屋にあった絵というのは、ひと口で言えば凡庸な絵だ。凡庸な構図と凡庸な筆致。砂浜に差したパラソルの下で、遠くに見える水平線を見つめる水着女性の後ろ姿を描いた、それほど見るべきところはなさそうな絵だが、筆の進まないバートンはその絵をことあるごとに眺める。まるで、心を吸い寄せられてしまったかのように。

物語の最後に、意気消沈するバートンは砂浜でぼんやりと海を眺めていた。そこへ水着姿の女性が現れる。その女性は、あのホテルの部屋にかけられていた絵と同じ構図、同じ姿で水平線を眺める。そんな女性を見つめるバートンの姿を映し出して、この物語は終わる。

そういえば、バートンは殺人鬼のチャーリーから受け取った「大切なもの」が入った箱を、最後まで大事に持ち続けていた。砂浜で水着姿の女性に出会うときも、その箱を大事に自分のかたわらに置いている。その邪悪さの詰まった箱をいつまでも大切に抱えていたからこそ、凡庸さの箱の中へと永遠に閉じこめられてしまったのではないか。

バートンは小市民の生活を描いた物語を書きたいと願っていた。しかし、殺人鬼や映画会社の社長、それにアルコール依存気味の小説家の持つ邪悪さに触れてしまい、凡庸の枠に押し込められてしまった。おそらくは一生、その凡庸の枠の中から出られることがないだろう。バートンは、そもそもハリウッドに来るべきではなかったのかもしれない。

以上のように、映画『バートン・フィンク』は、ひとりの才能あふれる劇作家の若者が、邪悪な存在に触れ続けてしまったことで、その邪悪さにからめ取られてしまった物語と言えるだろう。そういう意味で、非常にグロテスクな一本だと言える。

映画の概要・受賞歴など

映画『バートン・フィンク』は、1991年のアメリカ映画。監督はジョエル・コーエンイーサン・コーエンコーエン兄弟4作目の映画。同年の第44回カンヌ国際映画祭では、パルム・ドールを受賞。また、同映画祭ではジョエル・コーエンが監督賞、バートンを演じた初演のジョン・タトゥーロが男優賞を獲得した。

※この項目は、映画.com内『バートン・フィンク』の受賞歴の欄を参考にした。

参考

1)Yahoo!映画/『バートン・フィンク
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『バートン・フィンク
eiga.com

3)Filmarks/『バートン・フィンク
filmarks.com


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