誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

喜びのために生きよう! 踊って歌うために!/『ジミー、野を駆ける伝説』

喜びのために生きよう! 踊って歌うために!/『ジミー、野を駆ける伝説』:目次

束の間の自由さえ抑圧されてゆく

映画『ジミー、野を駆ける伝説』は、自由の大切さや自由を追い求めることの尊さを描いた物語。自由がけっして当たり前のものではなかった時代に、自由を求める主人公ジミー・グラルトンの活動と、それを抑えようとする人々との対立を描く。

1932年、10年ぶりに祖国アイルランドに戻ってきた元活動家のジミー・グラルトン。一度はアメリカへ国外追放されたジミーは、再びニューヨークからアイルランドにある故郷の村へと帰ってくる。かつては人々から絶大な信頼を集めたジミー、その帰郷を仲間たちに歓迎される。かつての村の仲間たちは、ジミーのところに駆け寄り、昔のように「ホール」を再開して欲しいと頼む。

けれども、ジミーは仲間たちの願いを断ってしまう。ジミーは年老いた母親と一緒に、ひっそりと静かに畑を耕して生きていきたいと願っているからだ。細々と畑を耕していたジミーは、仲間たちの熱意に押され、ついに「ホール」を再開させるが、そのことを面白く思わない人々との争いを招くことになる…...。

この映画の背景には、アイルランド内戦後の社会構造の問題が大きく横たわっている。つまり、地主や教会といった支配者層による、農民や労働者といった被支配者層の支配と抑圧、といった構造だ。言うまでもなく、主人公のジミーや彼の仲間たちは、農民や労働者の側に立つ。

けれども、ジミーや村の仲間たちは自由を求めて積極的に対立を煽ったり、支配に反抗したりするわけではない。むしろ、支配や抑圧の合間に喜びや楽しみを求め、あるいは仲間たちと学び合う場として、ジミーのつくった「ホール」は機能する。しかし、その束の間の自由でさえも、支配者層からは目障りなものとしてとらえられてしまう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

歌とダンスは自由の象徴

このジミーの開いた「ホール」とは、農作業小屋を利用したもので、みんなで人生や芸術などを学びながら、一方で歌やダンスに熱中するホールのことをいう。文学が得意な者は文学について仲間たちに語りかけ、手芸が得意な者は手芸の技術を教えるといったように、ジミーの開いた「ホール」とは、自分の得意なことを仲間たちに相互に教えあう学校のような場所だ。

また、ニューヨークから帰ってきたジミーがもたらした蓄音機とレコードによって、村の仲間たちは「ホール」で、初めてジャズなる音楽に触れる。それまで村に「正しい音楽」として伝わり、教えられていた音楽やダンスとはまったく違う、刺激的なジャズの音楽やダンス。物語の中盤に差しかかるあたりでは、この音楽とダンスのシーンが少し長めに映し出される。

このように、ジミーの「ホール」は、村の者であれば老若男女誰もが自由に歌やダンスを楽しみ、会話に花を咲かせる場所となった。つまりは、村の人々にとって、ジミーの「ホール」が自由の象徴となったのだとも言える。ジミーの「ホール」は、村の仲間たちにとって支配や抑圧から一時的に逃れられる、かけがえのない場所になってゆく。

けれども、ジャズなる音楽を楽しむこと、そして毎夜のように音楽とダンスを楽しむことは、地主や教会といった支配者層から見れば退廃的なものであり、叛逆のしるしでさえあるとみなされるようになる。

あるとき、村の教会のゴールウェイ司祭が、ジミーにこう告げる場面がある。「歌やダンスを楽しみたいのなら、伝統的なものがあるではないか」と。しかし、ジミーや仲間たちにとって、司祭のいうカトリックの教えに基づく「伝統的な歌やダンス」そのものが、支配や抑圧の象徴でもある。

だからこそ、ジミーがニューヨークから持ち帰ったジャズを「ホール」で楽しむことが、村の人々にとっては、支配や抑圧から自由でいることのできるかけがえのない時間だと言えるのだ。それでも、村の教会や地主といった支配者層から見れば、この動きは面白くない。
gramophone 02

そこでなら誰もが善良になる

支配者層たちは、村の人々を次第にジミーの「ホール」から遠ざけようと、いろんな手を使ってくる。たとえば、ゴールウェイ司祭の説教中に笑った村の娘マリーが、金持ちと再婚した父親に激しく鞭打たれ、二度と「ホール」に行くなと言われてしまう。また、「ホール」に集う村人の営む店に来て、不買運動を起こすぞと警告さえする。

そこで、カトリック協会のゴールウェイ司教にホールの運営に加わってもらおうと、ジミーは説得に行く。ジミーは自分の手を司教に見せ、この手を見てくださいと言う。爪に泥がある。ジミーは、手を泥まみれにして畑を耕す農民であり労働者であることを示す場面だ。

ジミーは司祭にこう語りかける。僕は農民や労働者である仲間たちを信じてる。そんな仲間たちと一緒に人生について考えようとしている。「ホール」は安全で、そこでなら仲間たちとともに考え、話し、学び、笑ったり踊ったりできる。そこでなら誰もが善良になる。だから司祭も恐れずに、「ホール」へ来てみてください。そして言葉を交わし、ともに仕事をしようと。

ジミーの「ホール」は、誰もが自由に参加でき、誰もが自由に足を踏み入れられる場所だ。だからこそ、支配者層とは言っても村の住民でもある司祭にも、支配・被支配の関係から抜け出して、一緒に「ホール」を運営し、ともに学び合おうとジミーは訴えるのだ。

けれども、司祭はジミーに告げる。ホールの権利書を渡し、カトリック教会に権利を譲渡すれば、「ホール」へ行き、運営に参加しようと。そんな司教に向かって「あなたはひざまずく者の話しか聞かない」と言い残し、立ち去る。けっきょく司祭は、「ホール」を自分たち支配者層たちの支配の下に置きたいことだけがはっきりする場面だ。言い換えれば、司祭は「善良」になれる機会を逃した場面だとも言えるだろう。

喜びのために生きよう! 踊って歌うために!

あるとき、ある農民がジミーを頼って「ホール」にやってくる場面がある。ある日突然、地主の伯爵から農地を取り上げられ、それまで住んでいた家から追い出されてしまった、そこで土地の奪還に力を貸して欲しいと依頼する。さらにはこの無法を世の中に訴えるために、ジミーに協力してほしいと申し出る。

仲間たちと相談するジミー。村の仲間たちは、農民を助けることに危惧を抱く。ここで農民を助けると、国中の地主への挑戦だと思われてしまう。この「ホール」も閉鎖されてしまうだろう。そうなれば、ジミーはまた国を追われる身になってしまう。村の仲間たちは、そんな危惧を抱くのだ。

農民を助けるべきか、そしてジミーが演説すべきか、仲間たちは熱い議論を交わす。村の仲間たちからは、自由闊達な意見が次々に出される。自由に自分の意見を述べることが、当時の農民や労働者にどれだけ認められていたのかを考えると、ある意味では民主主義の萌芽が垣間見えると言える場面だ。それだけジミーの「ホール」は、みんなの意見によって運営されていたことを示す場面でもある。

仲間たちの激しい議論の末、ついに覚悟を決めるジミー。今度国を追われるときは、一緒に国を出ようとまで母親に告げる。そして村の人々は地主の元へと押しかけ、ついに農地と家を奪還する。そしてここで、人々に求められるかたちで、ジミーの演説がはじまる。この物語の、ひとつの大きな山場だ。

ジミーはまず、支配階級が「押し付ける最大の嘘」は、「アイルランドはひとつ。挙国一致。共通の利益と信仰で、国民は結び付けられている」との主張だと断罪する。そして集まった人々にこう問いかける。「貧しい子の利益が横暴な地主の利益と同じか? 労働者と伯爵の利益は一緒か? 鉱山や工場労働者の利益と銀行家や弁護士や投資家の利益は?」と。それに加えて、支配階級は「少しでも関心を向けているか? 病人や失業者、貧しい人々に。職を求めて国を離れる者たちに」と訴える。

さらに、1920年代のニューヨークでは、人々は投資熱と拝金主義に冒されていたが、世界大恐慌で豊かな国は凋落したと訴え、その原因は幻想と搾取、強欲に染まったシステムであり、これは人が招いたものだとも訴える。

そして最後の締めくくりに、「人生を見つめ直す必要がある。欲を捨てて誠実に働こう。ただ生存するためでなく、喜びのために生きよう! 踊って歌うために! 自由な人間として!」と、訴えるのだ。これは、地主や教会といった支配者層の欺瞞を訴え、その搾取と強欲のシステムに決別し、人間らしく地に足をつけて働き、そして自由な人間として踊り歌う楽しみも味わおうとの、ジミーの理想が示された場面だ。

けれども、そんなジミーは当然のごとく、支配者層から危険な人物とみなされてしまう。

自由を求めて野を駆ける

ついにある夜、「ホール」は焼き討ちに遭ってしまう。それは教会や地主や警察が結託したもので、夜の間に焼き討ちに遭ってしまったのだ。ジミーの元恋人ウーナは、「ホール」の焼け落ちた瓦礫を見つめながら「学んだことは頭の中にある。誰にも消せない」と、人々に言い聞かせる。「ホール」という自由を味わえる空間が失われてしまっても、村の人々がそこで過ごした時間や、そこで学んだことは、誰にも奪えないものだったことを示す言葉だ。

けれどもさらに、尋問のないままアメリカに強制送還する命令書を持った警察が、ジミーを拘束しにやってくる。一度は拘束され、連行されようとするが、母親の機転でジミーは逃亡に成功する。ここで、邦題にある「野を駆ける」部分が登場する。追っ手から逃れるためにアイルランドの原野を駆け抜けるジミーの姿が、自由を求めての逃走として、わたしたちの眼に映るのだ。

逃走中のジミーに、元恋人のウーナがそっと新聞を見せる場面がある。ジミーの追放の撤回を求める集会が開かれ、ジミーの母親がそこで発言し、その言葉が新聞に載ったのだ。ジミーの母親は訴える。ジミーが拘束され、追放されてしまうのは「何の罪で? と問いたい。ホールの何が危険なのか。本を与えた私のせい? 疑問はぶつけろと教えたせい? 息子は見聞きした世界を持ち帰った。それが犯罪?」と、ジミーの母親は問いかける。

そして、人々の自由が奪われた中で、自由を求めたジミーが国外へ追放されてしまうことを、ジミーの母親は「私は息子を失うが、国の損失はもっと大きい」と発言するのだ。自由が認められないが故に「国の損失は大きい」と発言する母親の勇気も、ここでは讃えられるべきだろう。母親もまた、自由のためにジミーとともに戦っているのだと示される場面だ。

わたしたちは、ジミーが自由を求めて逃走する姿を目の当たりにして、なんとか無事に逃れてほしいと願うが、けっきょくジミーは拘束されてしまう。ついにジミーは友人たちに見送られ、アメリカへ送られる。その後、亡くなるまでジミーがアイルランドの地を踏むことは許されなかった。

ところで、この物語の主人公であるジミーという人物は、実在の人物のようだ。この作品に描かれたものは、おおむね事実のようだ。ただ、その前半生はよくわかっていないらしい。そんなジミーは、自由のなかった時代に一貫して自由を求め続けた人物として、アイルランドではよく知られているという。

しかし、ジミーが自由を求めた結果として、「自由の国」アメリカに強制送還されてしまう(送還されるのは、ジミーがアメリカの国籍も持っていたため)のが、なんとも皮肉的な結末だ。

自由のなかった時代に、自由を求めるのがどれだけ困難だったのか。現在の日本とは、時代も社会構造も政治体制も異なるが、ジミーの自由を求め続けた姿勢は燦然と輝いて見える。それは、自由が尊いものでかけがえのない輝くものであり、その輝くものをひたむきに求めたジミーの姿もまた、生き生きと輝いているからだ。
Ladies View - Ring of Kerry, Ireland

映画の概要・受賞歴など

映画『ジミー、野を駆ける伝説』は、2014年公開のケン・ローチ監督作品。原題は”Jimmy’s Hall”、つまり「ジミーのホール」となり、本作でもっとも重要な舞台となった、ジミーの作ったホールを指す。

邦題の『ジミー、野を駆ける伝説』だと野を駆ける部分、つまりは警察に追われて大地を逃げてゆく部分を思い出させるが、これだとその逃走の部分が強調されすぎて、この物語の本質である「ホール」の存在感や意義といったものが薄まってしまうような気もする。

もちろん「野を駆ける」には、「自由を求めての逃走」のような意味合いを含んでいるのだろうけれども、この物語の場合は「ホール」そのものが、自由の象徴なので、この邦題はもう少しどうにかならなかったものかと少々残念である。

この作品の舞台となっているのは、1932年のアイルランドアイルランド内戦から10年後のことである。本作はアイルランド内戦から10年後を描くが、このアイルランド内戦を舞台にしたケン・ローチ監督の作品が、2006年制作の『麦の穂をゆらす風』である。

参考リンク

1)Yahoo!映画/『ジミー、野を駆ける伝説』
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『ジミー、野を駆ける伝説』
eiga.com

3)Filmarks/『ジミー、野を駆ける伝説』
filmarks.com

4)『ジミー、野を駆ける伝説』/公式ホームページ
www.jimmy-densetsu.jp


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