誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

たとえ逃げ道を見つけ出したとしても/『ブラック・スワン』

たとえ逃げ道を見つけ出したとしても/『ブラック・スワン』:目次

ブラック・スワンにとらわれたバレリーナ

映画『ブラック・スワン』は、ニューヨークのバレエ団に所属するバレリーナが主人公の物語。バレリーナの主人公ニナが「白鳥の湖」の主演に抜擢されるが、プレッシャーのあまり狂気に侵されていくさまを描く。

主人公のニナは基本的に生真面目な性格の人物として描かれる。しかし、この生真面目さゆえに、ニナが徐々にプレッシャーに押しつぶされてゆくのだ。もちろん、プレッシャーに押しつぶされてゆくのは、まずなによりもニナ自身の問題だが、ニナの周囲にいる人物たちのある種の「好意」がニナを追い詰めてゆく。

ニナの周囲にいる人物たちのある種の「好意」とは何だろうか。それは、ニナに対する善意だったり期待だったりと、ニナのために良かれと思ってやっていることでもある。けれども、その周囲の人物たちがニナに対して良かれと思ってやっている言動が、ニナを徐々に追い詰めていくのだ。もちろん、ニナの周囲の人物たちは悪意からそう接しているわけではない。けれども、そのある種の「好意」にニナが押しつぶされていくさまが、わたしたちの心まで息苦しくさせる物語である。

ところで、タイトルにもなっている「ブラック・スワン」とは、バレエ「白鳥の湖」に登場する黒鳥のこと。「白鳥の湖」の主演を任されるバレリーナは、この白鳥と黒鳥の二役を努めなければならない。この黒鳥・「ブラック・スワン」とは純粋で無垢な白鳥と対をなす存在であり、邪悪な存在という位置付けだ。主人公のニナは、この物語の中で、まさに「ブラック・スワン」とも言えるような邪悪なものにとらわれてゆく。

わたしはこの物語を観ながら、胸が締めつけられるような感じを抱いた。ニナの感じている母親からの抑圧をはじめ、母親やリリーやトマといった周囲の人物たちに追い詰められ、鬱積したものを蓄積していくニナの姿が、重苦しくてつらいものに感じた。

ニナはどうすればよかったのだろうか。ニナの逃げ道はどこにあったのだろうか。逃げ道があったとしても、ニナはそれを見つけ出すことができただろうか。たとえ逃げ道を見つけ出したとしても、生真面目な性格のニナはそこへ駆け込むことをしただろうか。そんなことをしたら余計に自分を罰するように自分をさらに追い詰めてしまうのではないか。そんな思いが次々に胸に浮かぶ、そんな重苦しい物語である。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

抑圧と鬱積

ニナは生真面目な性格と先に書いたが、それがニナ本来の性格なのかどうかはわからない。なぜなら、ニナの生真面目さは母親の抑圧がそうさせているとも言える側面があるからだ。

ニナの母親もまたバレリーナだったが、トップに立つことはできなかった一流とは言いがたい、その他大勢のままでバレリーナ人生を終えてしまった人物だ。だからこそ、娘のニナがバレリーナとしての成功することを夢見ているのだ。けれども、それゆえにニナの母親は自身の「好意」から、ニナが一流のバレリーナになるように、ニナの言動を厳しく縛りつけてしまうところがある。母親にとって、ニナはいつまでも12歳の少女のままだ。だから、ニナもまた子どもっぽいぬいぐるみに数多く囲まれていたりする。

そんなニナは母親に厳しく抑圧されていると感じ、内心では母親に対して苛立っているようにさえ見えるのだ。たとえば、ニナの身体に現れる赤い発疹は、母親からのプレッシャーとそれへのニナの反発を表現しているのだろう。それでも物語の中盤あたりまで、ニナはそんな母親の期待を裏切らないために努力を重ねる、従順な娘であろうとした。たしかにニナは生真面目ではあるが、その生真面目さは母親からの抑圧によって生まれたものではないかというのは、その意味からである。

母親の抑圧から自由になれないニナは、母親の抑圧にがんじがらめになっていて、誰にも笑顔を見せることはない。そんな余裕もないのだろう。物語の中でのニナの表情は終始固く、緊張感がみなぎっている。そんなニナに恋人や親しい友人がいる様子はない。自らの心や鬱積するものを吐き出すような存在の人物はいない。だからこそ、リリーの危うさに魅かれていったのもわからなくはない。

邪悪で悲惨な物語

この物語の中で、ニナに悪徳や退廃といった邪悪なものをもたらすのがリリーである。リリーもまた、ニナと同じバレエ団に所属するバレリーナである。けれども、リリーはニナと比べると圧倒的に自由である。門限の厳しいニナとは違い、夜の街でその夜に出会った男たちと派手に遊びまわるリリー。アルコールやドラッグで酩酊しながらも遊び続けるリリー。リリーはなにもかもニナとは対照的な存在だ。

リリーに遊びに誘われるニナ。ニナは母親の抑圧や「白鳥の湖」の主演に決まるというプレッシャーに耐えかねたように、リリーとともに夜の町へと繰り出す。それはプレッシャーばかりではなく、たまには息抜きも必要だというリリーなりの「好意」でもある。ニナにとっても、それはある意味では母親への反抗でもあった。けれども、この夜にニナは不思議な体験に見舞われることになる。退廃的なリリーの幻の姿と遭遇するのである。けれどもそれは、あくまでもニナが生み出した幻であり、現実のリリーの姿ではない。

その意味では、悪徳や退廃をもたらす幻の存在としてニナの目に映ったリリーは、ニナが自身の心に秘めた願望なのではないか。そういう意味では、リリーの存在というのは、生真面目で母親の要求に応えようと自分を抑圧するニナが、解放されて自由になった自分の姿を投影したものと言えそうである。

また、ニナやリリーの所属するバレエ団を率いるトマもまた、ニナに邪悪なものをもたらす人物だ。トマは天才であり、バレエを見る目やバレリーナを指導する腕はたしかなのだろう。けれども、トマは女にだらしないところがあり、ニナにもセクシャル・ハラスメントとも言えるような指導を繰り返す。けれども、ニナに対するセクハラまがいの指導も、トマに言わせればニナの才能を開花させるために必要なものなのだと「好意」的に正当化されるのである。

ニナはそんなトマによるセクハラまがいの指導に戸惑うが、それでもトマによって「白鳥の湖」の主演に抜擢されたため、母親の期待に応えようという気持ちと相まって、トマの指導を受け入れる。それはある意味では、トマの指導に忍従を強いられるものだったと言えなくもない。そんなトマの指導により、ニナはようやく初日を迎えた「白鳥の湖」の舞台で華麗に舞うことができる。けれども、それは大きな犠牲を払ったものだった。

ニナがようやく自分を自由に解き放つためには、もはやそうするしか道は残っていなかったのだろう。あまりに悲惨な結末だ。周囲の「好意」にこたえようと自分を押さえ続けたあまりに、ニナ自身が「ブラック・スワン」にとらわれ、逃げ出せなくなってしまった。この物語はそんな邪悪で悲惨なものを描く物語であると言えるだろう。

そんな鬱積と抑圧の日々の中で、たとえニナが逃げ道を見つけ出し、そこへ逃げ出したとしても、ニナの生真面目な性格からすると、やはり結末は同じようなところへたどり着いたような予感がする。それゆえに、この物語は私の胸を重く締めつけるのだ。

映画の概要・受賞歴など

映画『ブラック・スワン』は2010年公開の作品。原題は”Black Swan”。監督はダーレン・アロノフスキー

主演のナタリー・ポートマンは、本作でアカデミー賞主演女優賞ゴールデングローブ賞主演女優賞などを受賞した。

参考リンク

1)Yahoo!映画/『ブラック・スワン
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『ブラック・スワン
eiga.com

3)Filmarks/『ブラック・スワン
filmarks.com


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