誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

2017年最後の更新。そして少々の愚痴めいたこと。/『誤読と曲解の映画日記』2017年12月のまとめ

2017年最後の更新。そして少々の愚痴めいたこと。/『誤読と曲解の映画日記』2017年12月のまとめ:目次

  • 少々の愚痴めいたこと
  • 『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめ
  • 『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめ
  • 管理人からのお知らせ:Amazonほしい物リスト

少々の愚痴めいたこと

『誤読と曲解の映画日記』、今年最後の更新です。

早いものでこのブログを開設してから丸2年が経とうとしています。今年は管理人が少々多忙だったため、なかなか更新できない時期もありましたが、なんとかまた1年間更新することができました。

さて、今さらですが、映画を観たときに浮かんだことを文章化するのはなかなか骨の折れる作業です。そもそもは自分用の映画の感想記録みたいなものとして、このブログを立ち上げたのですが、2年間ほど映画を観て感想を書いてという作業を繰り返して、それで文章が上手くなったかと言われると、それがやっぱり上手くなっていないんですねえ。

そういうわけで、ブログをはじめて2年経っても、なかなか文章が進まず、呻吟しながら記事を書き続けています。おそらくはこのままで続いていくのでしょう。

1年の最後に少々愚痴めいた話になりましたが、みなさま良い新年をお迎えください。

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もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語/『ゴスフォード・パーク』

もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語/『ゴスフォード・パーク』:目次

  • もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語
  • その消滅は避けられない
  • わずかな希望のようなもの
  • 映画の概要・受賞歴など
  • 参考リンク

もう二度と取り戻せないであろうものを描く物語

映画『ゴスフォード・パーク』は、消え去りゆく”貴族”の姿を描き出した物語。1932年秋のイギリス、貴族の邸宅「ゴスフォード・パーク」を舞台にした貴族たち、その使用人たちの人間模様を、ある殺人事件にからませて描く物語である。

この「ゴスフォード・パーク」でハンティング・パーティーが開かれるために人々が集うところからこの物語ははじまる。「ゴスフォード・パーク」の持ち主は貴族のウィリアム・マッコードル。ウィリアムの妻シルヴィアの叔母トレンサム伯爵夫人、シルヴィアの二人の妹夫婦、ウィリアムの親戚であるアメリカの俳優やその友人たちが、それぞれの使用人たちとともに「ゴスフォード・パーク」へとやってくる。

貴族たちや使用人たちが織りなす人間関係の多くは良好なものではない。険悪さや冷酷さ、自己愛や保身に満ち、そこへいくつかの思惑がからまり、それからわずかながらの親切心がある。そこへ殺人事件が起こることで、あらゆる思惑が明らかになり、隠されていたさまざまな真実が明るみに出る。

時代背景としては第一次世界大戦後のイギリスであり、その当時はイギリス貴族階級が衰退していった時期であるという。たしかにこの物語の最後は「ゴスフォード・パーク」に集った人々が去ってゆく様子を描きながら、何かが終わることを感じさせるようなしめやかな終わり方となっている。殺人による貴族の死を描き、その周囲の人々の抱えるものをあぶり出すことで、もう二度と取り戻せないであろうものを、わたしたちの心に郷愁とともに感じさせるのだ。

ただ、映画作品としてみると、前半はやや退屈に感じてしまうのも否めない。それは物語自体がほとんど動かない一方で、人間関係の把握や整理の情報処理に追われるからだ。ならば、前半部分で登場人物たちの背景をより深く示すことだってできたはずである。そうすれば、もう少し作品や人物にのめり込むことができたと思うし、物語が終わったあとの貴族階級の衰退や使用人の今後の人生を思わず想像してしまうような余韻も、より深い味わいになっただろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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世界の悲惨に想いを馳せ、その悲惨さから目をそらすな/『おやすみなさいを言いたくて』

世界の悲惨に想いを馳せ、その悲惨さから目をそらすな/『おやすみなさいを言いたくて』:目次

  • 絶望的な気分が支配するが、かすかな希望も見出せる物語
  • 理解と共感が救いとなる
  • アフリカの銃声がアイルランドの家族を引き裂く
  • 破壊されなかった信頼関係
  • 世界の悲惨に想いを馳せ、その悲惨さから目をそらすな
  • 映画の概要・受賞歴など
  • 参考リンク

絶望的な気分が支配するが、かすかな希望も見出せる物語

映画『おやすみなさいを言いたくて』は、理想と現実とのあいだで葛藤する女性の姿を描いた物語だ。物語全体を通じて、どちらかといえば絶望的な気分が支配する作品だ。けれども、絶望的な雰囲気の中にかすかな希望も見いだすことのできるし、それがこの物語の救いにもなっている。

主人公のレベッカは、紛争やテロといった世界の悲惨な現場へ飛び込み、写真を撮り続ける報道カメラマンとして活躍する女性だ。あるとき、自爆テロを起こす人々の取材をしていたとき、自爆テロに巻き込まれ大けがをしてしまう。

レベッカは一命を取り留めるが、心配する家族と今後はもう危険な場所に行かないと約束をする。家族はレベッカの危険と隣り合わせの仕事に理解を示していたが、実はそうではないことを知る。夫のマーカスは「君の生き方を愛している」と理解を示していたが、実は本心では心をすりつぶすほどにレベッカを心配していたのだ。

そんなマーカスの気持ちを推し量って、レベッカは家族のいるアイルランドで家族とともに幸せな生活を送ることになるが、次第に自分の中に存在する「抑えきれない何か」を抑えきれなくなってゆく…...、というストーリーである。

家族との平和で幸せな日々を選ぶのか。それとも危険な紛争地を飛び回って、人々に世界の悲惨さを伝えることを選ぶのか。レベッカはそういった選択をこれまで常につきつけられていて、そしてこの物語の中でも常にそれを問われ続けているのである。

わたしはレベッカの最後の選択を好意的に受け取った。なぜならば、レベッカの選択を理解し、応援してくれる存在があったからである。その存在があったからこそ、この物語は完全に絶望的な物語になってしまうことから救われているからである。もし、この物語の最後でレベッカがそう選択しなかったなら、レベッカのそれまでの存在意義までをも消えてしまうことになっただろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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怪獣映画が苦手/『誤読と曲解の映画日記』2017年11月のまとめ

怪獣映画が苦手/『誤読と曲解の映画日記』2017年11月のまとめ:目次

  • 4ヶ月ぶり(!)の今月のまとめ
  • 怪獣映画が苦手な理由
  • いろんな怪獣がいてもいいはず
  • 『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめ
  • 『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめ
  • 管理人からのお知らせ:Amazonほしい物リスト

4ヶ月ぶり(!)の今月のまとめ

4ヶ月ぶり(!)の今月のまとめです。
8月下旬から10月にかけて、個人的に少々多忙だったためです……。
ようやくブログを書く余裕が出てきたので、またブログを再開します。

怪獣映画が苦手な理由

唐突ですが、わたしはゴジラをはじめとした怪獣映画が苦手なのです。
先日、『シン・ゴジラ』が地上波テレビ放映され、twitter上などでも大いに盛り上がりましたが、わたしは断片的にしか観ていません……。

そもそも、ゴジラ映画をまともに観たことがありません。たまたまテレビでゴジラ映画が流れているときに、ちらっと観たことがあるだけで、始まりから終わりまでちゃんと全編を通して観たことは記憶の限りではありません。これはゴジラシリーズや他の怪獣映画も同じです。

その理由は怖いから、という単純なものです。

なぜなら、ビル並みの大きさの怪獣が人も車も家も踏み潰し、口から火のようなビームを噴き出し、尻尾を振り回してビルまでなぎ倒すという、それはもう破壊の限りを尽くすから。ああ、自分もうっかり怪獣に踏み殺されたらいやだなあ、みたいな想像が膨らんでしまうので、もうダメですね。つまり、怪獣映画を見る視点としては、わたしは怪獣に踏み潰される側の視点で観てしまうから、怪獣映画が怖いということになるのです。

まあ、昔のゴジラが原爆への恐怖や原子力に対する怒りを描き、シン・ゴジラ東日本大震災のメタファーであって、そんな巨大な厄災に対峙する人間の姿を描いている映画だということは理解していますので、怪獣映画だからと食わず嫌いしない方がいいというのは理解していますが。

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もっと未来が見通せたら/『マジック・イン・ムーンライト』

もっと未来が見通せたら/『マジック・イン・ムーンライト』:目次

  • 天文台でのんびりと夜空を眺めるような気持ちで
  • 傲慢で偏屈、自信過剰のマジシャンと若さと美貌が売り物の霊能力者
  • もっと未来が見通せたら
  • 映画の概要・受賞歴など
  • 参考リンク

天文台でのんびりと夜空を眺めるような気持ちで

映画『マジック・イン・ムーンライト』は、天才マジシャンとインチキ霊能力者の物語。1920年代の南仏コート・ダジュールが主な舞台となっている。有名なマジシャンが自称霊能力者のインチキを見破るという定型的とも言えるような物語で、世界を揺るがすような大事件などは起こらない小粒な印象の物語。けれども、登場人物たちのかたくなな心が魔法にかけられたようにやわらかに溶けていく様子を描く。

主人公は、有名な天才マジシャンであるスタンリー・クロフォード。そしてもうひとりの主人公は自称霊能力者のソフィ・ベイカー。スタンリーがソフィのインチキを見破るために南仏の屋敷に乗り込むが、なかなかそのインチキの証拠をつかめないまま、物語は進んでゆく。

タイトルにもあるように、「月の光」と「マジック」が印象的な物語である。「月の光」とは、あるときひょんなことでスタンリーとソフィのふたりが天文台にたどり着く。この天文台はスタンリーが幼い頃に連れてこられた思い出の場所であり、この天文台からふたりは夜空の月や星を眺める。この場面が物語の中でも美しい場面であり、同時にこの物語の大きな転換点に位置する場面であろう。

もうひとつの「マジック」の方には、様々な意味が込められている。まず、この物語の主人公スタンリーは職業がマジックを披露するマジシャンである。また、この物語のヒロインであるインチキ霊能力者のソフィもまた人々の過去を透視したり、死んだ人の霊を呼び寄せたりと、マジカルなことでお金を稼いでいる。

この「マジック」には他にも意味が込められているが、とにかくそんなふたりが出会ったことで、かたくなだったふたりの心が魔法にかけられたように少しずつ変わってゆく。映画『マジック・イン・ムーンライト』は、物語が終わったあとに、マジカルな力がわたしたちの心までをも柔らかく解きほぐしたかのように感じる物語である。この物語は、真夜中の天文台でのんびりと夜空を眺めるような気持ちで観るといいのかもしれない。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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