誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

人生に変化をもたらすものは、密やかに忍び寄る。まるで本を読むときのように。/『リスボンに誘われて』

1冊の本が人生を変える物語

1冊の本と出会い、そこに書かれた物語をくぐり抜ける。その過程で読み手の心境やものの見方に少しずつ変化が起こり、その本を読んだあとでは読み手の人生の有り様や世界の成り立ち方が大きく変わって見える。そんなふうに1冊の本を読むことで人生の方向が大きく変わったという経験は、読書する人なら多くの人が体験したことがあるだろう。

映画『リスボンに誘われて』は、たまたま手にした1冊の本が人生を変える物語。死と背中合わせに書かれた1冊の本が読む者の心をとらえ、人生をよりよき方向に導くことを描く。青年たちの過酷な過去を知った末に訪れる人生の選択。しかし、人生の大きな選択をせまられる以前に、1冊の本と出会ったことで、すでに人生は少しずつ密やかに変化していたのだ。

本作は、スイスの高校で古典文献学を教える年配の教師ライムント・グレゴリウスが自殺を図ろうとしていた若い女性を助けたところからはじまる。自殺を図ろうとしていた女性は、高校教師の元からいなくなってしまったが、女性の赤いコートには1冊の本が残されていた。その本を開くとリスボン行きの夜行列車のチケットが挟まれていた。その女性の行方を案じながら、1冊の本に惹かれるようにグレゴリウスはリスボンへと旅立つ……。

映画『リスボンに誘われて』の設定や時代背景、そして本の著者やその仲間たちを追って少しずつ過去を明らかにするミステリー的なストーリー展開は映画的な意味においても面白いのだが、もう少し主人公のバックグラウンドに踏み込めば、もっと深みのある映画になったのになあ、という一本だ。ひとつの映画としてはよくまとまっているとは思うが。

なお、本作には原作本がある。わたしは未読。この映画を観て、インターネットで関連情報を調べるまで知らなかった。インターネットでいくつかのレビューを見たところ、原作本よりボリュームが少ない、割愛された部分も多々あるという。原作本は未読なので、本作と原作の比較はできない。だから、ここでは本作を見た限りの感想となることをあらかじめお断りしておく。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

アマデウが生きた革命前夜のポルトガル

年配の高校教師ライムント・グレゴリウスが手にしたのは、アマデウ・デ・プラドという若者の書いた『黄金の金細工師』という本だった。それはアマデウの思索が金細工のように繊細で美しい言葉で断片的に紡がれた本。私家版で世界に100冊しかない。グレゴリウスがリスボンにて著者の家を訪ねると、アマデウは若くして亡くなったポルトガルの医者だったことが判明する。同時に、彼は危険な反体制運動に身を投じたこと、そして親友を裏切るほどの恋をした青年だったことも。

「人生の重要な分岐点、生き方が永久に分かれる瞬間に騒々しい演出があるわけでもない。実際は人生に変化をもたらすものは、密やかに忍び寄る」。そんなアマデウの言葉のとおり、グレゴリウスの人生もまた変化をしてゆく。まるで本を読むときのように、ゆっくりと。それは本人が気付かないくらいに密やかに。

アマデウはポルトガル軍事独裁政権下で青春を送った青年だ。「家族も友人も信じられない社会」での息詰まる生活。いつなんどき秘密警察がやってきて、連行されたり拷問を受けたりするかわからない社会。強権的な軍事独裁体制による個人や市民生活への抑圧が日常となった社会だ。

こんな状況下の生活を物語るひとつのエピソードがある。アマデウの親友ジョアンの元に秘密警察がやってきて、反体制活動をしている仲間について教えろという。しかし、ジョアンは口を割らない。すると、秘密警察のメンデスはジョアンの両手をズタズタにしてしまう。二度とその手は元に戻らない。年老いてもなお。秘密警察の残酷さ、冷酷さを物語るシーンだ。

そんな体制のもとで、反体制活動を行うアマデウは一冊のノートに省察を書き綴っていく。アマデウが残した言葉にこんな一節がある。「自分が死んでも、自分の一部分は生き続ける」。それは自らの死を予感していたアマデウの願望とも言えるだろう。そんな予感のとおり、アマデウは若くして亡くなってしまう。

アマデウの紡いだ言葉は死への予感、死への覚悟と背中合わせに書かれたものだ。アマデウは死んでしまったが、その願望は叶った。アマデウの言葉は本の中に生き続け、その本を手に取ったグレゴリウスの心に響き、彼の人生を変えたからだ。生と死が背中合わせのギリギリの状況で生み出されたアマデウの言葉だからこそ、グレゴリウスの胸を打ったのだろう。

朝焼けの鮮やかな色に染まりつつあったリスボン

本作の『リスボンに誘われて』との邦題。原作は『Night Train to Lisbon』なので、観る前は甘ったるくて安易なタイトルだなあと思っていた。つまり、古書に挟まっていたリスボン行きの夜行列車のチケットに誘われるように、リスボンへ向かった顛末という意味かと思っていたからだ。

しかし、映画を観終わったあと、これはグレゴリウスが自身の人生を取り戻す物語ということに気づいた。それに加え、最後の駅のホームでのシーンでマリアナからグレゴリウスに向かって言った言葉を聞いて、なるほど、たしかにこれは『リスボンに誘われて』という邦題がしっくりくるなと感じた。

スイスのベルンの町で1冊の本を手に古書店に行ったとき、ベルンの空は灰色の厚い雲に覆われていた。しかも小雨混じりだ。ベルンの空はいつも小雨交じりの曇天だ。そんなベルンの町からリスボン行きの電車に飛び乗り、ポルトガルリスボンに到着したとき、リスボンの街は朝焼けの鮮やかな色に染まりつつあった。このときすでに、物語の結末は予告されていたのかもしれない。


映画的な意味では、本作はよくまとまった作品だと思う。1冊の本が人生を変えることがある。その1冊の本に出会うのは、若いときだけとは限らない。むしろ、本作の主人公グレゴリウスのように人生も後半を折り返し、老境にさしかかろうとする手前で出会うこともある。

だからこそ、高校教師グレゴリウスの灰色の日々を感じさせるシーンや描写がもっとあっても良かっただろう。この灰色の人生を送っていたグレゴリウスは、心のどこかで自分の人生がより良い方向に変わることを望み続けていたはずだ。自分でさえも気づいていなかった、そんな願望が心の底にあったからこそ1冊の本に触発されたのだと言えるからだ。

そうでないと、たまたま出会った本の一節に心を惹かれ、リスボンにとどまり続け、アマデウのたどった人生や若き日の同志たちを追うという展開の必然性や説得力にやや欠けるようにも感じた。いくら人生に倦怠を感じているとはいえ、グレゴリウス自身も年齢を重ね、別れた妻との生活や高校の教師生活で積み重なったものがあるはずだ。そのあたりの描写がもっと丁寧にあれば、本作はより深みのある映画になっただろう。

参考

1)Yahoo!映画/『リスボンに誘われて』
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『リスボンに誘われて』
eiga.com

3)Filmarks/『リスボンに誘われて』
filmarks.com

4)『リスボンに誘われて』/公式ホームページ
lisbon-movie.com


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