誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

永遠に叶うことのない夢/『サンセット大通り』

永遠に叶うことのない夢/『サンセット大通り』:目次

もがきながら進む方向が誤っているゆえの破滅

映画『サンセット大通り』は、永遠に叶うことのない夢を抱えたふたりが出会ってしまったことで、まっすぐ破滅へと突き進んでしまう物語だと言えるだろう。過去の栄光にすがりつく人間と、破れた夢にぐずぐず未練を抱えた人間とが出会い、少しずつ破滅へ向かってゆく過程を描いている。それゆえに、この物語はひどく哀しくて恐ろしい。

サンセット大通りにある屋敷のプールで、ひとりの男の死体が浮いているのが発見される。パトカーやマスメディアの車が、猛スピードでサンセット通りを駆け抜け、プールに浮かぶ死体の元に駆けつける。男の身体には銃弾を撃ち込まれた痕。不吉で不穏な予感をわたしたちに抱かせ、物語は幕を開ける。

本作の製作は1950年。実に60年以上昔の作品にもかかわらず、そこに描かれたものは、今なおわたしたちがそこかしこで直面する光景である。愚かしさや弱さを抱えた人間が、なんとか現状から抜け出そうともがくが、もがきながら進む方向が誤っているゆえに、少しずつ破滅へと自らを導いている光景だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

永遠に叶うことのない夢を抱いた人間たち

ジョー・ギリスは映画の脚本家。脚本家とはいっても才能に乏しく、B級映画の脚本をいくつか書いただけの男だ。ジョーは金に困ったあげく、車の差し押さえが迫るなか、自分の脚本を映画会社に売り込みに行くが、その脚本を若い閲読係のベティにけなされてしまう。もはや脚本家としての才能もなく、映画界からも必要とされていない人物だ。

ジョーは金策に困り、故郷の田舎町へと帰ろうかと考える。故郷では新聞社に勤めていたが、脚本の才能を見込まれたジョーは、野心を抱いてハリウッドへとやって来た。けれども、脚本を書く才能はほとんど開花することはなかった。あるいは、はじめからジョーにはそれほど才能がなかったのかもしれない。

しかし、ジョーにはまだハリウッドへの未練があり、脚本家の夢に見切りをつける決断をぐずぐずと下せないままだった。自分の中には、まだ開花しない偉大な才能があるのだと信じているかのように。このように、はじめからジョーは永遠に叶うことのない夢を抱いた人間として描かれる。

そのようなジョーが取立てに追われる途中に迷い込んだのが、サンセット大通りにあるノーマ・デズモンドの暮らす大きな屋敷だった。ノーマはジョーが脚本家だと知り、自分の書いた『サロメ』の脚本を見せる。ジョーは内心ひどい脚本だと思いながらも謝礼の金に釣られ、その脚本の手直しに手を貸してしまう。取り立てから身を隠しつつ、金目当てだとしながらも、やはりジョーのどこかに、自分はまだ脚本家としての才能が眠っていると信じているのだろう。

一方、ノーマ・デズモンドはサイレント映画時代の大女優。しかし、今ではすっかり映画界から忘れ去られた存在だ。出演のオファーはまったく来ないにもかかわらず、ノーマ自身は映画界に”リターン”するのを望んでいる。だから、自ら書いた『サロメ』の脚本で、映画界への”リターン”を目論むのだ。ノーマはジョーに『サロメ』の脚本を手直しさせる一方で、ジョーに深い愛情を抱く。仕事も金もないジョーは、ずるずるとノーマと深い関係になり、彼女に囲われる生活を送るようになる。

そのようなノーマの元に、あるとき映画会社からある連絡が来るが、それを自身へのオファーだと思い込んでしまうノーマの姿が哀れだ。ノーマはついに映画界復帰の手がかりがつかめると、さっそく撮影所に赴く。撮影場にいたのは、かつて何度も映画撮影をともにした映画監督セシル・B・デメル

かつての大物女優ノーマの登場に、とりあえずセシル・B・デメルは礼を尽くすが、それも表向き丁寧に接しただけで、もはや彼女を必要としていないのは明白である。実は映画会社からの連絡というのは、ノーマの所有する高級車を映画で使用したいとの依頼だけだったのだ。しかし、その事実を誰にも打ち明けてもらえないまま、ノーマは映画出演のオファーを待ち続ける。このように、ノーマ・デズモンドもまた、永遠に叶うことのない夢を抱いた人間だった。

永遠に叶うことのない夢を抱えたふたりは、なんとか現状から抜け出そうともがいていた。けれどもその進む方向は決定的に誤っていた。そんなふたりが出会ってしまい、さらにひどく間違った方向へと突き進んでしまう。この映画の物悲しさと恐ろしさの理由は、ここにある。

破滅へのレールを敷いたマックスとベティ

過去の栄光に固執するノーマ・デズモンドは、自分が今でも大女優であり、自分の女優としての価値を理解しているはずの映画界や観客たちが、自分の登場を待ち望み続けているという幻想にしがみついている。

ノーマがそんなふうに幻想にすがりつくのは、いまだにたくさんのファンレターが彼女の元へ届くからだ。ファンたちはノーマの映画界への復帰を望んでいると訴えているという。ノーマはそのファンレターを読み、人々は自分を必要としていると思い込むのだ。

けれども、そのファンレターはすべて執事のマックスが書いたものだった。マックスがファンレターを書き、それをノーマ宛てに送り続けていた。それはノーマに現実を直視させないための、マックスなりの配慮ではあるが、それは問題を先送りにしているにすぎない行為でもある。

執事のマックス、実はノーマを女優として見出した元映画監督で、しかもノーマの最初の夫、さらには、彼自身もやはり映画界を去った元映画監督であった。今のマックスの望みはノーマの執事として彼女の生活を見守ることである。マックスはノーマに現実を突きつけることなどしないまま、身の回りの世話をしながら、彼女に夢を見せ続けている。問題を先送りにして、破滅へのレールを敷き続けていると言ってもいいだろう。

また、映画会社の閲読係のベティは、いつの日か自分も脚本家になることを夢見ている。ジョーの脚本を読んだベティは、その中のあるキャラクターを活かせば、もっと面白い脚本が書けるとジョーに告げるが、ジョーはもはや自分の脚本に興味はない。ジョーはベティが脚本家になる夢を持っていると知り、ノーマに知られないように一緒に夜な夜な脚本を書き続ける。ベティに魅かれてしまったからだ。

ジョーとベティはやがて自然に愛情を抱くようになるが、ベティはジョーの友人の婚約者でもある。婚約者が仕事のため、遠くへ行ってしまったあいだ、ベティはジョーとともに脚本を書き続けるのだ。ジョーは故郷に帰ることをずるずると先延ばしにしてしまう。やがてジョーがベティと別れ、ノーマの元からさろうと決意したときには、もはや取り返しのつかない地点まで来てしまっていた。その意味では、ベティも自分が意図していないにもかかわらず、破滅へのレールを敷き続けたと言えるだろう。
End of the Line

ひどく間違ったやさしさと愛情

ノーマもジョーも、永遠に叶うことのない夢にすがりついたまま、簡単にそれを手放すことができないでいた。それが悲劇的な破滅をもたらしてしまった。そもそも現実を直視する勇気も、現実を変えようと決断する勇気もないふたりが出会ってしまったことで、物語は悲劇へと一直線に進み、結果として悲劇的かつ破滅的な結末を迎える。

ジョーは自分の才能のなさに見切りをつけ、さっさと故郷に帰っていれば、こんな悲劇に巻き込まれずにすんだはずだ。けれども、自分の才能の見切りをつける勇気も決断力も乏しいがゆえに、悲劇的な結末を自ら迎え入れてしまうことになる。決断が遅すぎたのだ。

また、執事のマックスはノーマに現実を突きつけることなどせずに、身の回りの世話をしながら、彼女に夢を見せ続ける。物語の最後になって、ようやくジョーがそんな現実をノーマに突きつけるも、そのせいで、ノーマは破滅的な行動に走ってしまうのだ。

けれども、マックスは最後の最後までノーマに変実を突きつけず、夢を見せ続けてしまう。

ジョーの死体が発見されたことで、ノーマの屋敷に警察官や新聞記者たちが大勢集まる。ノーマはこの事態を映画の撮影だと思い込み、階段下で待ち構えるカメラに向かい、「サロメ」を演じながら迫真の演技で近づいて来るのだ。完全に常軌を逸したノーマに、カメラに向かってアクションするように告げるのはマックスである。マックスは最後の最後まで、ノーマに夢を見せ続ける人物だ。それはやさしさとも愛情とも言えるが、ひどく間違ったやさしさであり、愛情だった。

階段下で待ち構えるカメラに「サロメ」を演じながら近づくノーマの姿は、この映画を語る上で外すことができないだろう。ノーマの表情は、完全に狂気に取り憑かれている。その表情が画面に映し出されるとき、わたしたちはその恐ろしい形相におののき、そしてこのような悲劇的な結末を迎えてしまった責任は、登場人物のそれぞれにあることに想いを馳せて、暗澹とした気分に陥ってしまう。

太陽が沈み、夜の闇が訪れる『サンセット大通り』

ところで、タイトルの『サンセット大通り』が、この物語のゆくえを象徴しているのかもしれない。なぜなら「サンセット」とは、言うまでもなく「日没」「日の入り」を意味しているからだ。大女優ノーマ・デズモンドはまさに斜陽の人物だったが、物語の終末ではついに破滅してしまう。

かつては大女優として太陽のように映画界で輝いていたノーマ。しかし、太陽が傾き、やがて沈んでしまうように、彼女の人生も陰りが見え、そして太陽が地平線の向こう側に沈みゆくように転落してしまった。あとにやってくるのは夜の闇である。ノーマは夜の闇の支配する世界の住人となってしまった。そしてそれは同時に、ジョーの人生もまた同様である。ジョーもまた沈みゆく太陽のような存在であったが、ついに闇の世界の住人となってしまった。

そのように考えると、この映画のタイトルの『サンセット大通り』は、実にこの映画にぴったりのタイトルだなあと感心するばかりである。
Sunset

映画の概要・受賞歴など

映画『サンセット大通り』は、1950年のビリー・ワイルダー監督作品。原題は”Sunset Boulevard"。1950年アカデミー賞脚本賞を受賞。ビリー・ワイルダー監督は脚本家、そして監督として60本以上の映画作品の制作に関わる。本作の他には、『失われた週末』『アパートの鍵貸します』『昼下がりの情事』『麗しのサブリナ』などの監督、脚本を務めた。

本作にはサイレント映画時代の大女優ノーマ・デズモンドを演じたグロリア・スワンソンは、実際にサイレント映画時代を代表する女優。また、映画監督セシル・B・デミルや「世界の三大喜劇王」として知られるバスター・キートンも登場している。

参考リンク

1)Yahoo!映画/『サンセット大通り』
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『サンセット大通り』
eiga.com

3)Filmarks/『サンセット大通り』
filmarks.com


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