誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

何かが浄化されてゆく過程を描く物語/『アパートの鍵貸します』

何かが浄化されてゆく過程を描く物語/『アパートの鍵貸します』:目次

何かが浄化されてゆく過程を描く物語

映画『アパートの鍵貸します』を一言で言い表すとするなら、純愛と人間性を取り戻す物語だと言えるだろう。主人公のバクスターは、人間性の失われたオフィスで、まるで機械のように働くことにうんざりしていた。同時に、成り行きで自分の部屋を上司の逢い引きの部屋として貸し出していることにもまたうんざりしていた。

そんな倦怠感を抱えたバクスターは、エレベーターガールのフランに恋することで、そういったうんざりしたものの満ちる世界から抜け出し、新しい世界へ旅立つ。この物語はその過程を描く作品である。

物語はクリスマス前から大みそかにかけて進行する。クリスマスから新年を迎えるという時期だ。クリスマスを迎えるあたりまで、主人公バクスターの上記のような生活はゆがんで不健全で孤独なものだった。

けれども、フランへの愛情に目覚めることで、バクスターはゆがんで不健全で孤独な生活から抜け出そうと奮闘し、そしてまさに新年を迎えようとしている大みそかには、ゆがんで不健全で孤独なものを手放すという決意がもたらす、真に大切なものを手にいれる。

ゆがんだ不健全な世界が、バクスターが恋するフランへの純愛に基づいた思いによって、少しずつ清められていく過程を、この物語は描いていると言えるかもしれない。物語が終わったあとには、一年が終わり、新しい年を迎えるときの清冽な気持ちを抱くかのような、何かが浄化されたような、そんな気持ちさえ抱くのだ。
Keys


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

ゆがんでいて不健全な場所にいた気弱で流されやすい人物

主人公のバクスターは、保険会社の社員。ニューヨークの巨大なビルにある会社では、三万人を超える社員が働いている。恐ろしく広大なフロアに機械的に配置されたデスクで、数え切れないほどの社員たちが保険の計算をしている場面が物語の冒頭に映し出される。そのようなフロアは、非人間的な雰囲気がどこか漂う。社員一人ひとりの人間性や人格などはどこかに失われ、人間は巨大な機械を支えるひとつの部品でしかない。そんな職場は、ある意味でゆがんでいて不健全な職場だと言えるかもしれない。

バクスターもまた、そのような広大なフロアで保険の計算を処理する社員のひとりだった。あるとき、みんなの仕事が終わったあとのフロアで、バクスターはひとりデスクに残る場面がある。そのときのバクスターの周囲からはすべての社員たちが消え、広大なフロアにバクスターがただひとりぽつんと取り残されている様子が映される場面がある。バクスターのまわりに広がる誰もいない広大な空間は、まるでバクスターの心の中に存在する空虚さを表しているようだ。

そんなバクスターは、なぜか課長たちからの評判が良い。特に4人の課長たちの評価はとても良く、昇進を検討されているほどだ。そんなバクスターの高評価に疑問を抱いたのは、シェルドレイク部長。あるとき、シェルドレイク部長はバクスターを部長の専用室に呼び出し、なぜ君はこんなにも課長たちからの評価が高いのか尋ねる。

はじめは事の真相をのらりくらりとごまかしていたバクスターだったが、ついに真相を白状する。あるとき、他人に部屋を貸して欲しいと頼まれ、部屋を貸してしまった。そのあとは「成り行き」に任せるまま、今では課長たちが不倫相手と逢い引きするための部屋として、自分のアパートの部屋を時間貸ししているのだということを。バクスターは誰かの頼みを断ることができない、気弱で流されやすい性格の人物だということが示されているのだろう。

こんなところで何をやっているのだろう

課長たちのバクスターへの評価が高いのは、課長たちがそれぞれの不倫相手と逢い引きするため、バクスターの住むアパートの部屋を時間で区切って貸してもらっているからだった。シェルドレイク部長は真相を聞き、バクスターを叱責するどころか、自分もまたアパートの鍵を貸して欲しいと要求する。もちろん、昇進の約束をちらつかせて。シェルドレイク部長もまた、不倫相手と逢い引きするためにバクスターの部屋を必要としたのだ。

ところで、当たり前だがバクスターは自分の部屋を上司に貸しているあいだ、自分の部屋には戻れない。ときには上司たちが部屋を使う時間が伸びてしまうこともある。そんなとき、バクスターは寒空の下や騒々しいバーのカウンターで、自分の部屋が空くのを待っている。自分の部屋が開くまで待つバクスターの姿は所在なさげで、自分はいったいこんなところで何をやっているのだろう、と困惑のにじむ表情を浮かべている。

ようやく空いた部屋に帰ったバクスター。ひとり暮らしなので家族もなく、かと言って妻や恋人が待っているわけでもない。オーブンのような機械でアルミホイル製のパッケージに入った冷凍食品を温め、ひとりでテレビの前に座って食事する。テレビには映画がはじまりそうではじまらず、いつもコマーシャルばかり流れる。バクスターが自分の部屋にいることを、心から楽しめていないように思えるし、心からくつろいでいるようには思えない。バクスターは大都会の片隅で、ひとり孤独に過ごしている人物だとわかるのだ。

そんなバクスターの心を温める存在が、エレベーターガールのフランだ。いつもはバクスターは自分のフロアに向かうとき、フランといくつか会話を交わしていた。少しずつフランに心が傾いていたのだろう。あるとき、バクスターはフランを劇場に誘う。けっきょく、先約があるというフランは、その先約が終わったら駆けつけるとバクスターに告げたものの、バクスターとの約束を守ることができなかった。バクスターは待ちぼうけを食らってしまう。

それでもバクスターは陽気に振る舞い、フランにも気軽に接するが、あるとき、シェルドレイク部長とフランとの関係に気づいてしまう。けれども、バクスターがフランを思う気持ちは一途。だからこそ、フランがシェルドレイク部長の不倫相手だったこと、そしてよりによって自分の部屋でふたりが密会していたことに気づくと、深く打ちのめされるのだ。

それでもやはり、バクスターはシェルドレイク部長からのアパートの鍵を貸して欲しいとの要求を拒むことはできなかった。「成り行き」を拒むこともできず、「成り行き」のままにバクスターは流されていく。ここまでのバクスターは、倦怠感を抱えつつも、孤独で気弱な、自分がどこに向かっているのかさえ自分でもわかっていない人物として描かれている。だからこそ、バクスターは出世という、自意識を支えることのできる、わかりやすいものにすがっているのかもしれない。
New-York city

フランへの一途な愛情

そんなゆがんで不健全なものに囲まれ、孤独で気弱で、自分がどこに向かっているのかもわからなかったバクスターだったが、フランが自殺未遂を図ったあとに大きく変わってゆく。

フランはバクスターの部屋で、シェルドレイク部長との別れ話のもつれから自殺未遂を図ってしまう。息も絶え絶えのフランを救うべく、隣の部屋に住む医師を呼び出して救命を図り、なんとか命をとりとめたフランを、バクスターはかいがいしく介抱し、身の回りの世話をする。

さらには、シェルドレイク部長と不倫していた事実が周囲に知られて、フランに悪評が立たないよう、バクスターが人々の誤解を引き受けて悪者の立場にさえ立ってしまうが、バクスターはいっさいその誤解に対して、本当はこうなんだよという説明や弁解さえしない。

バクスターが抱くフランへの一途な愛情が、このあたりからいっそう強調されはじめるのだ。そんなバクスターの姿は、シェルドレイク部長とフランの関係と比べると、対照的にすがすがしくさえ思える。

フランが自殺未遂を図ったあとに、バクスターはシェルドレイク部長に電話をかけ、彼女と話すようにうながすが、そうすることでフランが元気になればとの心遣いからきたものだ。また、元気になったフランがシェルドレイク部長と結婚することが決まったとと聞いても、いったんはその事実を受け入れたのは、フランへの愛があるからだ。それで、彼女が幸せになるのならという気持ちがあったのだろう。

「成り行き」からの決別

バクスターは、物語のはじめから前半にかけて、ゆがんだ不健全な世界にいた。出世して専用の部屋が与えられたとはいえ、職場ではやはり巨大な機械の部品のひとつでしかない。アパートの鍵を上司たちに貸しはじめたのも主体性がなく、「成り行き」として他人に流された結果だ。それゆえに、自分の部屋はゆがめられた不健全な空間となったのだ。

ところが、バクスターはフランの身の回りの世話をし、そして人々からの悪評を弁解もせずに一身に受けて誤解されることで、自分の部屋がもたらしているものがゆがんでいて不健全なことだったと思い知ったのかもしれない。フランを介抱中、部屋を借りにやってきた上司とその愛人を、バクスターは追い返すことさえやってのけるのだ。

そんなふうにバクスターは、ゆがんだ不健全な空間と決別することをついに決意する。だからこそ、シェルドレイク部長に引き立てられて出世したバクスターが、フランと結婚する予定のシェルドレイク部長からの鍵を貸してくれとの要求を断ったのも、シェルドレイク部長が本気で彼女を愛して欲しいというバクスターなりの意思表示だとも言える。アパートの部屋は、あくまでも愛人との密会場所でしかないからだ。

そして、シェルドレイク部長の要求を断ったバクスターは会社を去り、自分のアパートで荷造りをはじめるのだった。上司が不倫相手と密会するためのゆがんだ不健全な空間であり、自分の気弱さと孤独さがこびりついた部屋から飛び出して自分を取り戻し、新しい町で新しい仕事を見つけ、新しい人生をはじめるために。

バクスターの中に輝くもの

フランを相手に不倫していたシェルドレイク部長は、基本的に女にだらしなく、これまで社内の女性社員と次々に不倫してきた人物だ。秘書のオルスンもかつての不倫相手。あるときオルスンは、ちょっとしたことからシェルドレイク部長にクビを言い渡され、その腹いせにシェルドレイク部長の妻に電話をかけ、現在に至るまでの不倫をみんな暴露してしまう。それによって、シェルドレイク部長は妻と離婚することとなり、家を出て、離婚手続きを進めることになった。

ここで疑問が浮かぶ。シェルドレイク部長は本当に妻と離婚し、フランと結婚するつもりだったのだろうか? それもまた不倫相手であるフランをつなぎとめるための芝居なのではないか? つまり、シェルドレイク部長が荷物を持って家を出たのは芝居で、離婚手続きを進めている話はウソだということだ。

おそらくは、秘書のオルスンから電話を受け、すべてを聞いた妻が激怒し、シェルドレイク部長が家を出る、あたりまでは本当なのだろう。その中で、離婚の話が出たのも本当なのだろうとは思う。けれども、本当に離婚することまでは、シェルドレイク部長も妻も考えていないのかもしれない。

そもそも、シェルドレイク部長の妻は、自分の夫の過去から現在に至るまでの不倫を、まったく知らなかったなどありうるのだろうか? シェルドレイク部長は、ほとぼりが冷めるまでフランをつなぎとめるためだけに、芝居としてウソをついているだけなのではないだろうか。そんなことが、シェルドレイク部長の態度からどうしても感じられてしまう。

だからこそ、そのことを嗅ぎ取ったフランは、大晦日のパーティーの席を抜け出し、バクスターのところへと向かったのかもしれない。フランが自殺を図ったあとに自分を介抱してくれたバクスターの真摯なやさしさに触れ、「どうして私はあなたのような人と恋愛できないのかしら」と自嘲気味につぶやく場面がある。ここにきてようやく、フランは自分のことを真剣に思ってくれる存在がいることに気づいたのだ。

考えてみれば、フランもまた、かつて故郷の町で不倫をしたことで、ニューヨークへと出てきた過去がある。けれどもそのニューヨークでも上司と将来の見出せない不倫に溺れてしまった。フランもまた、ゆがんだ不健全な世界から抜け出すことを望んでいたのかもしれない。だから、今度は誰にも流されることなく、「成り行き」でそうなったのではない、ゆがんだ不健全な世界から自分の力で抜け出そうとしたバクスターに、輝くものを見出したのだろう。
Departure

映画の概要・受賞歴など

映画『アパートの鍵貸します』は、1960年公開の映画で、ビリー・ワイルダー監督作品。原題は”The Apartment”。1960年のアカデミー賞では作品賞を受賞。また、アカデミー賞では、ビリー・ワイルダー監督に監督賞と脚本賞(I・A・L・ダイヤモンドとともに)が送られた。

1961年ゴールデングローブ賞では作品賞を受賞、主演男優のジャック・レモンは最優秀男優賞、主演女優のシャーリー・マクレーンは最優秀主演女優賞を受賞した。

参考リンク

1)Yahoo!映画/『アパートの鍵貸します
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『アパートの鍵貸します
eiga.com

3)Filmarks/『アパートの鍵貸します
filmarks.com


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『誤読と曲解の映画日記』管理人:のび
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