誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

ウディ・アレンとニューオリンズ・ジャズ/『ワイルド・マン・ブルース』

ウディ・アレンニューオリンズ・ジャズ/『ワイルド・マン・ブルース』:目次

※なお、この作品はウディ・アレン監督作品ではないが、ウディ・アレン監督を取り上げた作品のため、このブログでは「ウディ・アレン監督作品」のカテゴリーに入れた。

クラリネット奏者としてのウディ・アレン

映画監督・俳優として知られるウディ・アレンの姿を描くドキュメンタリー映画ウディ・アレンの姿を描くと言っても、映画監督や俳優としての姿ではない。ウディ・アレンのジャズマンとしての姿、クラリネット奏者としての姿を描き出すのだ。そこでは、真剣にクラリネットに向き合うウディ・アレンの、普段の映画を通じた姿とは異なった姿を目撃することができる。

このドキュメンタリーでは、ウディ・アレンニューオリンズ・ジャズのバンドとともに、ヨーロッパツアーへと出かけた一部始終を題材にしている。ウディ・アレン自身、このバンドで25年以上演奏をしてきたという。そんな気心の知れたメンバーたちとともにヨーロッパ各地をめぐる、クラリネット奏者としてのウディ・アレンの姿を、このドキュメンタリーは描き出す。

また、ウディ・アレン自身が語る、ニューオリンズ・ジャズとの出会いや音楽との関係についても言及する箇所があり、彼自身の音楽観についても、うかがい知ることのできる作品となっている。わたしたちは、このドキュメンタリーで語られるウディ・アレンの音楽観が、彼の映画に使われる多くの音楽にも影響を及ぼしているのだなあと思いをめぐらせてしまう。

この作品は基本的にドキュメンタリーなので、当たり前だが誰も演技をしていない。カメラを意識しているというのはあるとしても、そこに映し出されるウディ・アレンや彼のバンドメンバー、彼を支えるスタッフとのやりとりが妙に軽妙であり、どこかずれているところもある。まるでひとつのウディ・アレンのコメディ映画のようで楽しめる。そのやりとりを通じて、ウディ・アレンの人柄や周囲の人々との関係性までうかがうことができる。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

「ここまでやるとは思わなかった」ウディ・アレンの演奏

わたしたちは、映画監督・俳優としてのウディ・アレンの姿を、映画のスクリーンやテレビのディスプレイを通じて目にしているが、実はウディ・アレンクラリネット奏者としての一面を持っていることが、このドキュメンタリーと見ているとよく分かる。

しかし、彼のクラリネット奏者としての腕前はどうなのだろうか。映画監督としては、あるいは俳優としては一流だが、音楽はそれほどたいしたことないんじゃないか。この作品を観る前まではそんな邪なことが頭の片隅によぎってしまうのも事実だ。

このドキュメンタリーにも、そんな「何でも疑ってかかる」辛辣な言葉を吐く観客のおじさんが登場する。ヴェニスでの劇場にやってきた、ひとりのおじさんへのインタビューシーンだ。そのおじさんは、ステージがはじまる前のインタビューでは、辛辣な態度を取っていた。「(ウディ・アレンの演奏を)確かめたいんだ。きっとヘタだろうけど、案外うまいといいなと思って」。おじさんがインタビューを受けているときの態度と表情が、いかにも自分は冷やかしで来たんだ、みたいな雰囲気を醸し出している。

けれども、ウディ・アレンのステージが終わり、再びインタビューを受けると、そのおじさんはウディの演奏に感銘を受け、実に素晴らしい演奏だったとべた褒めする。「見直したよ。楽しいコンサートだった。のどかで心地よくて、昔、ニューオリンズで聴いてたのとまったく同じスタイルだ。ミュージシャンもいい。すばらしいよ、ウディは。ここまでやるとは思わなかった」。

こんなふうに辛辣なおじさんの態度がころっと変わるのも滑稽でもあるが、ウディ・アレンの実力を示しているものでもある。ウディ・アレンは、一時期は本気でプロのクラリネット奏者を目指していたとあって、その演奏も本格的なのである。

この作品では、ウディ・アレンと彼のバンドメンバーが演奏する場面が随所に登場する。どのステージ上でも、クラリネットを演奏するウディ・アレンの姿が、あまりに真摯であることが印象的だ。ウディ・アレンの映画のようなコメディ要素が、この作品には含まれていると先に書いたが、それはステージ外のことであり、ステージ上ではまずお目にかかることはできない。

なぜ、そこまで ウディ・アレンクラリネットに、そしてニューオリンズ・ジャズに没頭するのだろうか。
Clarinet

ウディ・アレンニューオリンズ・ジャズ

ウディ・アレンと彼のバンドが演奏するのは、ニューオリンズ・ジャズと呼ばれる音楽だ。それはウディ・アレン自身が語るように、「今やアメリカでも関心は薄れている」音楽である。また、バンドメンバーが語るには、ニューオリンズ・ジャズとは「ジャズの方言のような音楽で、今はもうどこにもない。古いジャズはめったに聴けない。発祥の地のニューオリンズにも、もう残っていない」音楽である。

彼らの演奏を聴いていると、ニューオリンズ・ジャズは、たしかに原初的であり素朴であり、そしてどこか懐かしさを感じさせる音楽だ。バンドメンバーの言葉を借りれば、「土っぽくて、いい意味で野暮ったい音楽」という表現がぴったりの音楽である。しかし、どこか魅かれるものがあり、そこにはたしかに輝くものがある。

それはニューオリンズ・ジャズがもともと持っているものなのか、はたまたウディ・アレンと彼のバンドメンバーの演奏がそうさせているのかはわからない。でも、そこにはたしかに素朴な光のようなものを見出すことができる。それは、ずっと昔に見たことのあるような素朴な光であり、ずっと眺めていたいと思えるような素朴な光であると、表現することができるかも知れない。

ウディ・アレンは子どもだった頃に、そのようなニューオリンズ・ジャズに出会い、その音楽に衝撃を受け、さっそくレコードを買いに走ったほどだと語る場面がある。そして今でも、「ニューオリンズ・ジャズは、なぜか僕を不思議な気分にさせる。はちみつ風呂に入っているような……」と、ウディ・アレンは表現する。

ところで、この作品中にウディ・アレンがインタビューを受ける場面が出てくる。そこでウディ・アレンは、スピルバーグ監督が「子どもの頃に好きだったものを撮る」と言ってたことを紹介する。その上で、自分が創造性を発揮したいのはジャズだと明言するのだ。

ウディ・アレンの映画には、古い時代のジャズが使われていることが多い。その原点には、幼い頃のニューオリンズ・ジャズとの出会いが大きな影響を与えているのかもしれない。そして同時に、ウディ・アレンは彼の永遠の憧れや夢をニューオリンズ・ジャズ、特にクラリネットの音色に追い求めているのかもしれない。わたしたちはこの作品を通じて、そんな思いにいたる。

このように、映画『ワイルド・マン・ブルース』は、ウディ・アレンと音楽、特にニューオリンズ・ジャズとの関係について、より深く知るための楽しい一本だ。

映画の概要・受賞歴など

映画「ワイルド・マン・ブルース」は1997年制作のバーバラ・コップル監督によるドキュメンタリー作品。原題は”Wild Man Blues”。

バーバラ・コップル監督は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を2回受賞(1976年”Harlan County, USA”、1991年”American Dream")するなど、ドキュメンタリー映画では名実ともに高い評価を受けているようだ。

参考リンク

1)Yahoo!映画/『ワイルド・マン・ブルース』
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『ワイルド・マン・ブルース』
eiga.com

3)Filmarks/『ワイルド・マン・ブルース』
filmarks.com


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