誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

すべての荷物を投げ捨てて/『ダージリン急行』

すべての荷物を投げ捨てて/『ダージリン急行』:目次

ここから逃げ出すことはできないからこそ

ひとりの中年ビジネスマンがダージリン急行に向かって急ぐシーンから、この物語は幕を開ける。タクシーを飛ばし、大慌てで駅に駆け込み、そして今まさにホームから出発しはじめていたダージリン急行に飛び乗ろうとする。けれども、この中年ビジネスマンは、大きなトランクをふたつ抱えているせいか、走っても走ってもダージリン急行に追いつかない。

そこにもうひとり、走りはじめたダージリン急行の車両を追いかけるひとりの男。こちらも大きなトランクを抱えているが、なんとかダージリン急行の最後尾に飛び乗ることに成功した。ダージリン急行はこのもうひとりの男を乗せ、そして列車に追いつくことを諦めた中年ビジネスマンをホームに残し、スピードを上げてゆく。

このダージリン急行に追いついたもうひとりの男は、この物語の主人公のひとりであるピーターだ。ピーターが客車のコンパートメントに着くと、そこには弟のジャックがいた。さらにそこへ、兄のフランシスもやってくる。このようなホットマン三兄弟の一年ぶりの再会から、この物語は本格的に動きはじめる。

よく考えてみれば、大人になった兄弟だけでともに旅をする機会などあまりない。特にここはインドというホイットマン三兄弟の暮らす場所から遠く離れた土地だ。自分たちの住む国から遠く離れたインドという土地だからこそ、ホイットマン三兄弟は反発しあい、ぶつかり合いながらも一緒に旅を続けざるを得ない。

ここから逃げ出すことはできないからこそ、じっくり互いと向き合い、そして自分と向き合わざるを得ないのだ。そんな旅を通して、ホイットマン三兄弟は自分たち兄弟の関係性を再確認し、自分を再生させてゆく。映画『ダージリン急行』は、そのようなホイットマン三兄弟の旅を描き出す物語だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

「僕たちの居場所は不明」

ホイットマン三兄弟は、一年前の父親の死をきっかけに絶交していた。なぜ、父親の死が絶交のきっかけになったのか、その理由はこの物語の中では語られない。でも、長男のフランシスは自分たちには人生を変える旅が絶対に必要だと考えている。だから、次男のピーターと三男のジャックを呼び出した。しかし、ここでも長男のフランシスがいったい何を変えようとしているのか、どのように変えたいと望んでいるのかを明確に語ることはない。

長男のフランシスは助手まで雇い、毎日その助手が旅の日程をつくり、この日程どおりに旅を進めようと決めていた。このようにフランシスは仕切り屋で、自分の考えをふたりの弟に押し付けてしまう傾向がある。旅の計画のみならず、弟たちの食事のメニューまで指図するから実に細かい性格だ。だから、弟ふたりはこの旅を早く終わらせて、インドから去ってしまいたいと考えている。

また、スランシスは旅のはじめに、ホイットマン三兄弟の旅の目的を「協定」として弟ふたりに提示する。一点目は「もう一度兄弟として固い結束を誓うこと」、二点目は「心の旅をして未知を探求すること」、そして三点目は「心を開きショックでつらくてもイエスと言うこと」。弟ふたりもまあしょうがないやという感じで「協定」に同意する。

わたしたちはただ、兄弟は今現在不仲であり、その原因はわからないが、少なくともフランシスは不仲を解消したいことだけがわかる。このようにホイットマン三兄弟は、それぞれ問題を抱えているのだ。

長男のフランシスは、頭に包帯をぐるぐる巻いている。バイクの事故でケガをしたようで、そのケガを抱えたままだ。また、次男のピーターがかけている父親の遺産のサングラスを見て、フランシスはピーターが父親の遺産を独り占めしているんじゃないかと不信感を抱いている。

これはジャックに対してもそうで、弟たちが旅の途中で帰ってしまわないように、長男フランシスは弟ふたりのパスポートを「預かる」という名目で取り上げているのだ。長男フランシスは自ら「もう一度兄弟として固い結束を誓うこと」との協定を掲げたのだが、自分の弟たちに対して不信感を抱いているのだ。

次男のピーターは妻のアリスと離婚すつもりだったが、予想外の妻の妊娠で混乱している。妻の妊娠は喜ばしいことだが、いずれ妻とは離婚するつもりでいたので、予想外の妊娠という状況を突きつけられ、自分がこの先どのような選択を下すべきか、自分の中に明確な答えを出せず、それがフラストレーションとなっているようなフシがある。

三男のジャックは作家で、家族をテーマにした短編小説を書き上げたばかり。失恋したばかりだが、前の恋人のことが忘れられない。にもかかわらず、客室乗務員のリタと関係を結んでしまうようなところがある。何か自分でも抑制しがたいもの、発散させたいものを抱え込んでいるのだろう。このようにホイットマン三兄弟は、それぞれ鬱屈したものを自らの中に抱えたまま、ダージリン急行での旅に出たのだ。

物語の中で印象的な場面がある。ホイットマン三兄弟を乗せたダージリン急行が道を間違い、迷子になってしまう場面があるのだ。決められていたレール以外のところへ進んでしまったのだから、ダージリン急行自体が行方不明であり、ホイットマン三兄弟もまた行方不明なのだ。そこで、フランシスはこう言う。「象徴的じゃないか。僕たちの居場所は不明」だと。ホイットマン三兄弟は、それぞれの人生で自分の居場所や収まるべき場所を見失っていることを示唆する場面だろう。

子どもの死をきっかけに

ダージリン急行の旅を続けていたホイットマン三兄弟だが、持ち込み禁止の毒ヘビが列車の中に逃げてしまったために、ホイットマン三兄弟は下車を命じられてしまう。仕方なく旅を中断し、歩いて空港に向かう途中、今度はホイットマン三兄弟の目の前で、いかだに乗って川を渡ろうとしていた子どもたちが、川に流されるという事故が起こってしまう。ホイットマン三兄弟は川に飛び込んで子どもたちを助け出すが、ひとりの子どもは助からずに死んでしまう。

ホイットマン三兄弟は、死んでしまった子どもの葬儀に参列しながら、自分たちの父親の葬儀を思い出す。正確には葬儀そのものではなく、葬儀の直前に起こったドタバタだ。なぜ、ピーターは父親の車にこだわったのだろうか。あるいはなぜ、ピーターは父親のカバンを取り出すことにこだわったのだろうか。そのあたりのことは、物語の中では明確に語られていない。

でも、父親の車やカバンがピーターにとって、そしてホイットマン三兄弟にとって、とても大事な意味を持つということがわかる回想シーンだ。そして、おそらくは父親の残したカバンもともに、この旅を続けているのだ。ピーターは終始、父親のサングラスをかけていることからも、それは十分に可能性として考えられることである。

ある意味では、ホイットマン三兄弟はいまだに父親に縛られ、父親の影響から自由になっていないとも言える。物語の中では明確になっていない何かが呪縛となって、ホイットマン三兄弟を否応無く縛り付け、それが兄弟の不仲につながっているとも考えられる。

川に流されて死んでしまった子どもの葬儀に参加したあと、ホイットマン三兄弟は空港に向かい、帰りの飛行機に搭乗しようとする。けれども、飛行機に搭乗する直前になって、ホイットマン三兄弟は旅を続けることを決断、母親に会いに向かうのだ。川に流されて死んでしまった子どもの葬儀に参加することで、ホイットマン三兄弟の内部でそれぞれ何かが変化したのだろう。

ひょっとしたら、川に流された子どもたちは兄弟でそのうちのひとりが死んでしまったのかもしれない。自分たち兄弟も何かの突発的なアクシデントに巻き込まれ、誰かが欠けてしまうかもしれない。かけがえのない兄弟はいつ失われてもおかしくはないのだ。そんな思いが胸に去来したのかもしれない。

このあたり、誰かが明確に言葉にして口に出したり、感情や態度に表したりしているわけではないので、わたしたちはホイットマン三兄弟の心中を想像するしかない。ホイットマン三兄弟は旅を中断せず、はじめの計画どおりに三人で母親に会いに行く。兄弟内の関係は、子どもの死をきっかけに良き方向に向かっていることが、わたしたちにははっきりとわかるのだ。おそらくは子どもの死とともに、ホイットマン三兄弟の中でわだかまってものが消えたのだろう。

すべての荷物を投げ捨てて

ようやく、ヒマラヤの修道院にいる母親に再会することができたホイットマン三兄弟。母親からの手紙には、隣村に人喰い虎が出たために救援活動をするため会えないと書いてあったが、実際に人喰い虎は出現していた。ここでも、ホイットマン三兄弟は生命の危機と隣り合わせである。川に流されて子どもが死んだときのように。

ホイットマン三兄弟はさっそく母親に問い詰める。なぜ母親は父親の葬式に来なかったのかと。ここでもその理由は明確には語られない。問い詰められた母親はこう答える。ここにいる住民たちが自分を必要としているからだと。父親が母親を必要としていなかったのか、あるいは母親は兄弟を必要としていなかったのか、そんな疑問がわたしたちの胸に湧き上がる。

母親と父親のあいだには対立や葛藤が存在していたことが示唆される場面である。そしてまた、両親の対立や葛藤がまた、母親と三兄弟とのあいだの対立や葛藤、あるいは父親と三兄弟とのあいだの対立や葛藤をもたらしたのかもしれないと示唆される場面だ。

ダージリン急行から追い出されたあと、フランシスが「僕らは育児放棄された」と弱気になった場面があったことを思い出すと、やはり母親と息子たちとのあいだに、何か対立や葛藤みたいなものが存在しているのだろう。それでも、ホイットマン三兄弟は自分たちの母親に会いに来たのだ。生命の危機と隣り合わせになりながら。そんな息子たちに、母親は「言葉を使わずに自由に自分を表現すること」を提案する。

翌朝目覚めると、母親は修道院からいなくなっていた。ホイットマン三兄弟も再び荷物を持ち、列車に乗るために駅に向かうが、発車ギリギリだったために、三人がホームにたどり着いたとき、すでに乗る予定だった列車は走りはじめていた。物語の冒頭のように、大きな荷物を抱えて列車を追いかけるホイットマン三兄弟。列車はスピードを上げていく。もう、飛び乗ることはできないと思ったその瞬間、ホイットマン三兄弟は持っていた荷物をすべて投げ捨てる。いくつもあった大きな旅行カバンをすべて投げ捨てて、列車に飛び乗るのだ。

フランシス、ピーター、ジャックの三人が、それぞれ自分にまとわりついていた何かを投げ捨てた瞬間でもある。大きな荷物を抱え、身動きが取れず、あるいは機敏に動くことができなくなっていた兄弟たち。でも、インドでの旅を通して母親に会うことで、兄弟それぞれにまとわりついていた鬱陶しいもの、足を引っ張るものはすべて投げ捨てることができた。ここにあったはずの対立や葛藤、そして父親や母親にもたらされた呪縛までをも、ホイットマン三兄弟はすべて投げ捨てることができたのだと言えるのかもしれない。

無事、列車に乗ることができた長男のフランシスは、自分が持っていたピーターとジャックのぶんのパスポートをふたりに返そうとする。けれど、ピーターもジャックも、パスポートは兄さんに預けておくよと告げる。ホイットマン三兄弟のあいだに新しい新たな信頼と結束が築かれたことを示す場面だ。そんなホイットマン三兄弟を乗せた列車は前へ前へと突き進む。ホイットマン三兄弟がなにものにも縛られない、自由な新しい人生に向かって走り出したみたいに。

映画の概要・受賞歴など

映画『ダージリン急行』は、2007年制作のウェス・アンダーソン監督作品。ウェス・アンダーソン監督には他に、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』、『グランド・ブタペスト・ホテル』などの作品がある。

参考リンク

1)Yahoo!映画/『ダージリン急行
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『ダージリン急行
eiga.com

3)Filmarks/『ダージリン急行
filmarks.com


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
管理人のFilmarks:https://filmarks.com/pc/nobitter73
管理人のtwitterのアカウント:https://twitter.com/nobitter73
管理人のメールアドレス:nobitter73 [at] gmail.com
※[at]の部分を半角の@に変更して、前後のスペースを詰めてください。
『誤読と曲解の映画日記』管理人:のび
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー