誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

わたしたちもまた少しずつしか伝えられない/『潜水服は蝶の夢を見る』

わたしたちもまた少しずつしか伝えられない/『潜水服は蝶の夢を見る』:目次

伝えるということを問う物語

映画『潜水服は蝶の夢を見る』。潜水服を着たかのような不自由な状況に置かれてしまっても、記憶と想像力がある限り、人間の心はどこまでも自由に蝶のように羽ばたくことができる。同時に、人はどんなに悲惨な状況に陥っても自分の感情や思いを言葉にして伝えることができ、それが周囲の人々の心を響かせることができる。この物語が伝えたいメッセージは、こう言い表すことができるだろう。

この物語の主人公はファッション誌『ELLE』の編集長であるジャン=ドミニク・ボビー。彼は息子とともに新車のドライブをしている最中に脳溢血に襲われてしまう。3週間の昏睡状態から目覚めたあと、なんとか一命をとりとめたものの、頭から足の先までの全身に麻痺が残ってしまった。

そんなジャン=ドミニク・ボビーに残されたのは意識と聴覚、そして左目を動かすことだけだった。そんな彼は言語聴覚士の指導により、まばたきのみで言葉を伝える方法を覚えてゆく。イエスならまばたき1回、ノーならまばたき2回というふうに。そこからさらに言葉を伝える方法まで獲得してゆき……という物語だ。

この映画には感動とはまた違う驚きがある。他人と意志が伝達できないかのように見える状態の障害者にも想像力や感情があり、恐ろしく制限され、時間のかかる方法ではあるが、その想像力や気持ちを他人に伝えることができるのだという驚きと発見がある。伝えるということが、人間にとってどういうものであるか。わたしたちはそんな疑問を突きつけられるのだ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

わたしたちもまた少しずつしか伝えられない

全身が麻痺してしまい、自分では体を動かすことも、口を使って声にして言葉を伝えることもできなくなったジャン=ドミニク・ボビーの視点で、この物語は描かれる。だから、ジャン=ドミニク・ボビーの"内なる声"に満ちた物語だとも言える。しかし、彼の"内なる声”は饒舌にしゃべっているが、その”内なる声”は、まったくと言っていいほどこの物語に登場する人々には伝わらない。

この”内なる声”は、わたしたちが普段の生活を送りながら頭の中でしゃべり続けている言葉と同じだとううことが、物語を見ているとよくわかる。わたしたちは常に頭の中でしゃべり続けている。他人と対面するときでも、大勢に囲まれているときでも、テレビでサッカーを観戦しているときでも。そんな”内なる言葉”には喜びがあり、怒りがある。文句や不満を吐き出し、感謝や感動を紡ぐのだ。

それは全身麻痺で言葉を話せなくなったジャン=ドミニク・ボビーもまったく同じである。だから、彼が言語聴覚士が美人であることを喜び、テレビのサッカー観戦を邪魔する医療関係者に悪態をつくのも、わたしたちと同じなのだという発見がある。

ジャン=ドミニク・ボビーとわたしたちが大きく異なるのは、わたしたちは言葉を文字に書き起こしたり、あるいは声に出して話したりできるが、ジャン=ドミニク・ボビーはそれがいっさいできないところだ。なにしろ彼は左目のまぶたを動かすことしかできない(あとは、眼球を動かすことくらいだ)。

だから、ささいな言葉を伝えることさえ、はじめはできないのだ。そこで、言語聴覚士がイエスやノーを伝達する方法を伝え、そしてアルファベットを読み上げながら、単語を紡いでゆく方法を教えてゆく。それはまるで、おそろしく時間のかかるキーボード入力のようなものだ。まどろっこしい時間のかかるやり方だが、ジャン=ドミニク・ボビーは少しづつ言葉を紡いでゆくのだ。

考えてみれば、わたしたちは書くことも話すこともできるのに、それを十分にうまく他人へ伝えることができているかと問われれば、いささか心もとない。わたしたちは常に頭の中でしゃべり続けていると先に書いたが、それをうまく伝えられない、少しずつしか伝えられないのは、ジャン=ドミニク・ボビーと同じだということがよくわかるのだ。

蛇足的な想像

ジャン=ドミニク・ボビーには妻、3人の子どもという家族がいる。しかし、妻とは離婚を考えているところで、愛人と新しい人生をはじめようと思い描いていた矢先、彼は脳溢血に襲われてしまう。離婚の話が切り出されていたので、事故のあとに病院を訪れた妻は、はじめのうちはぎこちない関係が描き出される。素っ気なくてよそよそしい夫婦の関係が描かれる。

一方、愛人の方は病院に見舞いには来ず、妻に電話を取り次いでもらって、ジャン=ドミニク・ボビーと会話するのだが、愛人はジャン=ドミニク・ボビーを愛していると告げる。けれども、愛人の愛は、以前の元気で健康で、話すことも歩くこともいたって普通の状態のジャン=ドミニク・ボビーへ注がれたものだということが判明する。だから、電話口で愛人はジャン=ドミニク・ボビーに告げる。以前の状態にならないと会えないのだと。

けっきょく、愛人は『ELLE』の編集者であったジャン=ドミニク・ボビーを愛しているのであり、全身が麻痺した意思疎通に時間のかかるジャン=ドミニク・ボビーを愛してはいないことが判明する場面だ。わだかまりを抱えながらも、ジャン=ドミニク・ボビーと妻は、このあと関係を修復してゆく。

このあたりは実話のとおりなのだろうし、いくら愛人がいてもやっぱり自分の子どもは可愛いのだろう。しかし、仮に愛人がそれでもジャン=ドミニク・ボビーを愛すると言ったのなら、この物語はいったいどの方向へと向かっていったのかという、映画的に面白そうな、それでいて当事者にとっては真剣で重大な問題に直面するような想像が湧いたのも事実だ。

映画の概要・受賞歴など

映画『潜水服は蝶の夢を見る』は、2007年公開のフランス映画。フランス語での原題は「潜水鐘と蝶」を意味する”Le scaphandre et le papillon”。

「潜水鐘(せんすいしょう)」とは、かつて使われていた潜水装置のことのようだ。おもりのような円錐形のかたちをしていて、それを船舶から海中へと吊り下げてゆく装置のことらしい。昔から、その中へ人間を入れて海中に沈める用途で使われていたそうだ。ただ、本作では潜水鐘ではなく、潜水服がモチーフとして使われている。

この映画の原作は、物語の主人公であるジャン=ドミニク・ボビー本人が、本作で描かれた方法と同じように意思を伝えて書いた、原題と同じタイトルの本である。つまりは実話を元に書かれているのだ。

なお、日本語訳の本は本作と同じタイトルの『潜水服は蝶の夢を見る』というタイトルで、講談社から出版されていた。現在は絶版のようだ。翻訳の河野万里子氏はスランソワーズ・サガンの『悲しみよ こんにちは』や、ライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』サン=テグジュペリの『星の王子さま』など(いずれも新潮文庫)で知られている翻訳家。

参考リンク

1)Yahoo!映画/『潜水服は蝶の夢を見る
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『潜水服は蝶の夢を見る
eiga.com

3)Filmarks/『潜水服は蝶の夢を見る
filmarks.com


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