読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

あふれんばかり情けなさがあふれる世界に差し伸べられた温かな手/『ファーゴ』

転がり続ける雪玉の行方

コーエン兄弟が監督をつとめた映画『ファーゴ』は陰惨で血まみれの映画だが、見終わったあとは不思議と温かな気持ちになる映画。男たちの情けなさや弱さや欠点をこれでもかと見せられた末に、女性警察署長の地に足のついた性格と行動が、雪の降り積もる世界に温かい救いの手を差し伸べているように感じるからだろう。


物語は、中年男ジェローム・ランディガード(通称ジェリー)が、自分の抱えた金のトラブルをうまい具合に取り繕うために狂言誘拐を企てるところからはじまる。もっと他に問題の解決のしようがあったようにも思える。しかし、ジェリーは手っ取り早く大金を手に入れるために狂言誘拐を企ててしまった。

しかし、狂言誘拐は予期せぬ出来事や悪い偶然、不運な行き違いを巻き込みながら、すべてはジェリーのたくらみとは逆の、悪い方向へと進んでしまう。そして、それをなんとか取り繕うとして、さらに泥沼に入り込んでしまう。

たとえば、斜面を雪玉が転がり始めたら、周囲の雪をくっつけてどんどん大きくなっていく。そして最後には、雪玉を転がした本人自身の手にも負えないほどに雪玉は大きくなり、転がるスピードも破壊的になる。どこに転がってゆくのかさえもわからない。我々は、その転がり続ける雪玉がどこに行き着いてしまうのか、ハラハラドキドキと固唾を飲んで見守ることしかできない。

狂言誘拐の行方、そしてその途中で偶発的に起こったいくつもの殺人事件の捜査の行方はどこに転がってゆくのか、どこに行き着くのかわからないまま、ときに陰惨な血まみれの事件、人間が抱える情けなさや弱さをも巻き込みながら転がりゆく雪玉。『ファーゴ』はそんな作品だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

平凡で小市民的だが、陰惨なものを生み出してしまう

『ファーゴ』の登場人物たちは、それぞれに切実なものを抱え必死だが、それを傍観する観客の目には、登場人物たちの姿がどこか滑稽に映る。

ジェローム・ランディガード(通称ジェリー)は自動車ディーラーの営業部長をしている。しかし、それほど有能には見えず、うだつの上がらない男だ。にもかかわらず、この中年男のジェリーはどんなときにも作り笑いや営業スマイルを浮かべ続け、外面を取り繕っている。

そんなジェリーはあるとき、お客に「君は嘘つきだ」と言われてしまう。ここにこのジェリーの本質がある。ジェリーは問題の本質に手をつけずに、どうやったら自分のプライドや外面を傷つけずにうまく問題を切り抜けることができるか、ということしか考えていない。狂言誘拐を穏便に収め、大金をせしめるために。

ジェリーはそのように終始一貫して、自分の弱さや情けなさを取り繕い続ける。自動車ディーラーの営業部長であり家族思いの夫であるという外面を保つために。当たり前だが、そんなことをいつまでも続けられるわけがない。ジェリーの立ち居振る舞いから、破綻と破滅の予感がぷんぷん漂う。けれども、本人は破綻や破滅をなんとか回避しようともがき続ける。その姿が情けなくて滑稽だ。

でも、そういう欠点を抱えた人って実は我々の周囲にたくさんいますね。あるいは大なり小なり、自分にもそういう欠点を抱えているのだろうとも思いをめぐらせてしまう。ある意味ではジェリーは、我々のような平凡な小市民の象徴なのだろう。でも、その平凡で小市民的な存在の抱える欠点から、陰惨なものを生み出してしまうこともある。いやあ、怖いですね。気をつけよう。

欠点に足元をすくわれるふたりのならず者

ジェリーが狂言強盗を依頼したふたりのならず者、チビで"ヘンな顔"をしたチンピラのカール・ショウォスター、そして無口で冷酷な殺人者ゲア・グリムスラッドのふたりは対照的なペアだ。

そもそもは狂言誘拐も、大金を手に入れたら人質を無事に返すつもりだった。しかし、誘拐の直後にゲアが、ふたりと人質の乗った車を呼び止めた警察官を撃ち殺してしまったことから、事態は泥沼への第一歩を踏み出してしまう。ゲアは無口で冷酷、人の生命を奪うことなどどうとも感じていない。けれども短気だ。その短気さが、物語の行方を悪い方向へと走らせてしまう。

カールの方は、作中で変な顔と何度も言われてしまうように変な顔をしている。それだけにチンピラとしても小物な感じが常に漂う。そんなカールは身代金以上の予想外の大金を手に入れ、その大金に目がくらんで、手に入れた大金の一部だけをゲアに渡そうとする。しかし、誘拐に使った車をどちらのものにするかでゲアと揉め、けっきょくはゲアにあっさりと殺されてしまう。変に欲を出してしまったが故に、命まで失ってしまうのだ。

『ファーゴ』に登場する男たちは、このように誰もが欠点を抱えている。それも、自分たちの足元をすくうような致命的な欠点だ。

警察署長マージの温かな人柄

『ファーゴ』は次々に人が殺されていく陰惨なストーリーだが、観終わったあとに陰気で残忍で血なまぐさい映画だったという後味の悪さはそれほどない。それは、妊娠中の女性警察署長マージのユーモラスな人柄がそうさせているのだろう。

警察署長のマージはユーモアと微笑みを忘れずに地道に聞き込みを行う。この署長の聞き込みが証言以外の情報を浮き彫りにする。さまざまな関係者の言葉の外側にあるもの、たとえば表情だったり言い淀みだったりするもの、それらが示唆するものを巧みに引き出すのだ。

そんな警察署長マージはしょっちゅう編み物をしている。編み物はひと手間ずつ丁寧に編んでいかなければ、けっして完成しない。編み物はマージの地に足がついた感覚や性格を印象付けるうまい小道具になっている。そして、地に足がついた感覚や性格は編み物だけではなく、事件の捜査にも活かされる。地道な捜査を行う警察署長マージの存在が、この映画をただ陰惨なだけだったという印象からすくい上げている。

マージというキャラクターが、他の刑事ものや推理ものによくあるように、無口な中年男性の刑事や、閑職に追い出されたはぐれ者の刑事だったらどうだっただろう。ひょっとすると、ここまで巧みに言葉の外側にある人間の機微を引きずり出すには、そういったよくあるキャラクターでは物足りなかったかもしれないし、説得力がなかったかもしれない。


そんなマージは、物語の最後で逮捕されたゲアに問う。「どうしてこんなに少ないお金のために人を殺したのか」「人生にはお金よりも大切なものがある」と。そもそもは、身代金の8万ドルのうち、4万ドルを報酬として(カールの分を含む)受け取る予定だったからだ。しかし、ゲアはその問いかけには何も答えず、無言のまま護送される。

自宅に帰ったマージは、夫のノームの描いた絵が3セント切手の絵柄に採用されたことを知り喜ぶ。そんな地に足のついた感じが、この映画全体にふわりとした温かさを与える。雪の降り積もる世界に温かい救いの手を差し伸べているかのようだ。雪に閉ざされた田舎町の陰惨な事件を描いた物語であるにもかかわらず。そんなマージの温かさが、この映画の大きな魅力だ。

映画『ファーゴ』は、人の弱さや情けなさにうんざりしたとき、観たい映画だ。

参考

1)Yahoo!映画/『ファーゴ』
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『ファーゴ』
eiga.com

3)Filmarks/『ファーゴ』
filmarks.com


このブログ管理人のtwitterのアカウントは、nobitter73です。