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誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

ぱっとしないけれど、シリアスでリアルな日常/『ナポレオン・ダイナマイト』

映画日記

ぱっとしないけれど、シリアスでリアルな日常

映画『ナポレオン・ダイナマイト』は、ぱっとしない田舎のぱっとしない高校生たちの友情を描く物語。よくある安っぽい青春映画のような、さわやかな友情や甘酸っぱい恋愛で彩られた、ある意味では”理想化”された青春とは対極にある高校生たちの日常生活を本作は描き出す。

物語の序盤から前半にかけては、ぱっとしない田舎でぱっとしない主人公ナポレオン・ダイナマイトの送る、ぱっとしない日常生活に痛々しささえ感じる。そこにはナポレオンの、いささかぱっとしない見た目と、そして言動にある不可解さや不器用さがもたらす痛々しさが、わたしたちをいたたまれない気持ちにさせるからだ。これはこんなイタい奴が動き回るだけの映画なのか? 果たして、この映画はこのままイタいだけの話に終始するのだろうか? そんな不安さえも感じてしまう。

けれど、そんな痛々しさや不安も、物語が半分あたりを迎えたときに、どこかへと忘れてしまう。いつの間にか、わたしたちはナポレオンやその友人の行方が、より良い方向へ向かうようにと祈るかのように見守りはじめているからだ。同時にまた、ナポレオンの兄やおじさんの行方も、笑いと悲哀を胸に抱きながら見守ることになるのだ。

主人公のナポレオンやその家族や友人たちは、わたしたちの目から見ればぱっとしない日常を送っている。けれども、ぱっとしないように見える日常生活は、ナポレオンたちにとっては実にシリアスでリアルな日常に違いない。過去にとらわれ、未来を夢見て、ぱっとしない現状に思い悩む。だからこそ本人たちは必死なのだが、その必死さがわたしたちの目から見ればコメディ的なおかしみさえもたらすのだ。

ぱっとしないけれど、シリアスでリアルな日常。そんな日常の中で本人たちは必死だが、どこかずれている。それはある意味では、わたしたちの日常そのものだ。だからこそ、はじめは違和感や不安を抱きながら物語を眺めていても、わたしたちは少しずつ目の前の物語に引き込まれ、いつの間にかナポレオンたちを応援し、喜怒哀楽をともにしているのだ。
California Coast


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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運命がつかさどるよりもずっと奇妙なことが、この世界では起こりうる/『誘惑のアフロディーテ』

映画日記

「理想的な」母親探しに奔走する物語

映画『誘惑のアフロディーテ』は、スポーツ記者のレニー・ワインリブとアマンダの夫婦が養子を引き取るところから始まる物語。レニーとアマンダの間には子どもがいない。アマンダは養子を引き取って育てることを主張するが、レニーは反対する。しかし、いざ養子のマックスを引き取ると、レニーはマックスにメロメロとなり親バカぶりを発揮する。

それから数年後、マックスはこんなにハンサムで利発で性格も最高の子どもなのだから、遺伝からするとその実の母親も素晴らしい「理想的」な母親に違いないとの思いにレニーは取りつかれてしまう。その一方で、画廊に勤めるアマンダに独立する話が持ち上がり、アマンダは後援者のベンダーに言い寄られる。レニーとアマンダの夫婦関係が少しずつ冷めたものになっていくと、ますますレニーはマックスの実の母親探しに没頭する……、というストーリーだ。

この物語は「再生」がテーマなのかもしれない。「再生」とはいうまでもなく、リンダの人生「再生」を描いているからだ。リンダとは、レニーが探し当てたマックスの実の母親である。

レニーがようやく探し出したマックスの実の母親リンダ、彼女は「理想的」とは言いがたい女性だということがすぐに判明してしまう。リンダは女優を目指し、その夢を叶えるためにポルノビデオに出演し、今では娼婦をやっている女性だったのだ。それでもレニーは、リンダを「再生」させるために奔走する。その一方で、レニーとアマンダの夫婦仲はますます悪化してゆく……。
Arrows


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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「コンプレックス」が原動力/2017年2月のまとめ

今月のまとめ

「コンプレックス」が原動力

そもそも、なぜわたしは映画を観た感想をブログを書いているのだろうという話です。そういえば、ブログを立ち上げた理由やブログを書き続ける理由など、これまでどこにも書いてないなと気づいたので、自分用のメモとして書いておこうと。

結論から言うと、「コンプレックス」、劣等感と言い換えてもいいのですが、そういうものが根底にあるからなのではないか、ということに行き着きました。

他の人にとっては、もうとっくに観ていて当然の作品を自分はまだ観ていない。自分には映画に関する知識や常識が他の人よりも大きく欠落している。そんな「コンプレックス」が、自分の根底にあるし、最低でも月2回は映画のブログを書く原動力になってるのではないか。

それに加え、月2回は映画の感想をブログに書くために、最低でも月に2本以上の映画を観なければならない。つまりは月2本以上の映画を観ることを、自分にノルマとして課しているわけです。どうしても意図的に時間をとって映画を観なければならないという状況に、自分を追い込んでいるわけですね(そんなおおげさな行為でもないですが)。それで数をこなして、観たことのある作品を増やしていくと。

さらには、記憶力が悪いということもある。映画の作品名を聞いて、その大まかなストーリーの流れや結末を忘れてしまっていることはしょっちゅうだし、役名はもちろん、出演している俳優の名前すら出てこないこともある。

じゃあ、映画ブログを書きはじめて、コンプレックスを克服し、記憶力も良くなったのかというと、そんなことはないんですけどね。実に困ったことです。


それでは、今月の『誤読と曲解の映画日記』と『誤読と曲解の読書日記』のまとめです。

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"YES"は前に進むためのスイッチ/『イエスマン "YES"は人生のパスワード』

映画日記

不思議な説得力のある物語

人生は決断の連続だと言える。大きなことから些細なことまで、わたしたちは常に決断に迫られる。そんなときに、こころよく「YES」と答えられればいいが、そうすべてに「YES」と答えられるわけではない。どうしても時間的金銭的都合がつかないという理由や、性格の合わない人物やどうしても嫌いな人物がいるからという理由、あるいは単に気が進まなかったり、面倒くさかったりというような理由で、言い訳を添えながら「NO」と答えるか、適当に曖昧なことを言って返事や決断を先延ばしにしまうことがある。

映画『イエスマン "YES"は人生のパスワード』の主人公カール・アレンは、個人融資の審査や友達からの誘いなど、とにかく適当な理由をつけて「NO」と断る銀行員。3年前に離婚して以来、カールはひとりで家のソファに寝転んでテレビをただぼんやりと眺めるだけの、他人から見れば孤独で無気力な生活を送っていた。そんなカールは、上司のノーマンから昇進がダメになった話を伝えられ、友人ピーターの婚約にも素直に喜べず、ついに婚約パーティーすらすっぽかす。

さすがに怒ったピーターから「もしお前が生き方を変えない限り、孤独のまま終わる人生が待っている」とまで言われ、突き放されたカールは自分が老人になって孤独のまま死んでゆく悪夢まで見てしまう。そんなとき、カールは偶然にも再会した古い友人のニックから誘われたセミナーに参加し、ありとあらゆる機会に「YES」と答えなければならない誓いを立ててしまう……、という物語だ。

そのせいで、カールの元に幸運が舞い込むが、同時に痛い目にも会うし、ひどい目にも遭遇してしまう。それでも、カールは傷をつくりながら、ことあるごとに「YES」と答え続ける。コメディ映画なので、何も考えなくても終始楽しく面白く観てしまうが、観終わったあとに「自分も”YES”と答え続けてみようかな……」との思いが頭をよぎってしまうほど、不思議な説得力のある物語だ。
Yes


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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永遠に叶うことのない夢/『サンセット大通り』

映画日記

もがきながら進む方向が誤っているゆえの破滅

映画『サンセット大通り』は、永遠に叶うことのない夢を抱えたふたりが出会ってしまったことで、まっすぐ破滅へと突き進んでしまう物語だと言えるだろう。過去の栄光にすがりつく人間と、破れた夢にぐずぐず未練を抱えた人間とが出会い、少しずつ破滅へ向かってゆく過程を描いている。それゆえに、この物語はひどく哀しくて恐ろしい。

サンセット大通りにある屋敷のプールで、ひとりの男の死体が浮いているのが発見される。パトカーやマスメディアの車が、猛スピードでサンセット通りを駆け抜け、プールに浮かぶ死体の元に駆けつける。男の身体には銃弾を撃ち込まれた痕。不吉で不穏な予感をわたしたちに抱かせ、物語は幕を開ける。

本作の製作は1950年。実に60年以上昔の作品にもかかわらず、そこに描かれたものは、今なおわたしたちがそこかしこで直面する光景である。愚かしさや弱さを抱えた人間が、なんとか現状から抜け出そうともがくが、もがきながら進む方向が誤っているゆえに、少しずつ破滅へと自らを導いている光景だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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