自己保身と自己憐憫、そして希望/『羅生門』
自己保身と自己憐憫、そして希望/『羅生門』:目次
- 絶え間ない雨の音の聞こえる羅生門と緊張感の満ちる藪の中
- 汚い人間の本性に染まった下人と、人を信じようとする旅法師
- 自分の嘘を覆い隠すための「演技」
- 自己保身が羅生門の下に引きずり出される
- 人間不信のあとに訪れた人間への希望
- 映画の概要・受賞歴など
- 参考リンク
絶え間ない雨の音の聞こえる羅生門と緊張感の満ちる藪の中
『羅生門』は、エゴイズム丸出しの人間に触れ続け、人間不信に陥った果てに、かすかな希望を見出すまでを描いた物語。羅生門でのシーンでは、絶え間なく降り続ける激しい雨の音が、わたしたちの心をざわざわと落ち着かなくさせる。藪の中の出来事を回想するシーンでは、ぎらぎらと照りつける太陽の光とそれを遮る無数の木の枝葉が織りなす、白黒のはっきりとしたコントラストが、息詰まる緊張感をわたしたちに与える。物語はこのふたつの世界を行き来しながら進む。
舞台は平安時代。京の都の羅生門の下で雨宿りをする木こりと旅法師。羅生門の半分は大きくうち崩れてしまっている。戦乱、伝染病の流行、火事や大風、地震や飢饉などの不幸が相次ぎ、さらには夜な夜な盗賊が盗みを働いてまわるなど、京の都は荒れ果てていた。今にも崩れ落ちそうな羅生門の荒れ果てた姿は、荒涼としているのは京の都だけではなく、そこに住む人々の心までもが荒涼としたものに覆い尽くされてしまったことを示しているかのようだ。
木こりと旅法師はそんな羅生門の下で雨宿りしていたが、そこへ今度は下人が駆け込んでくる。雨を逃れるためなのだろう。羅生門に下では、呆然としたまま「わからない、わからない」とつぶやき続ける木こりと、やはり呆然と座り込んでいる旅法師。そんなふたりに興味を持ち、話しかける下人。そこで、木こりと旅法師が検非違使庁で見聞きしたばかりの、恐ろしくて奇妙な話を聞き出すところから、物語ははじまる。
木こりと旅法師が呼び出された検非違使庁では、事件の関係者がそれぞれが自分に都合のよい話をした。事件の関係者の話は、みな自分を憐れみ、そして自分を少しでもよく見せようとした、エゴイズムがむき出しになった話だった。物語が進むにつれ、そんな話をさんざん聞かされたあとだったために、木こりと旅法師はすっかり人間不信に陥っていたことがわかってくる。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
カンヌ国際映画祭「犬賞」/2017年6月のまとめ
『誤読と曲解の映画日記』/2017年6月のまとめ:目次
「次にどんな映画を観るか」
「次にどんな映画を観るか」。その基準のひとつに「賞」がありますね。
シネマコンプレックスに並ぶポスターやレンタルDVDが並ぶ棚、そしてネット配信でもディスプレイにたくさん並ぶ作品のサムネイル。あまりにも選択肢が多いため、わたしたちは「賞」を基準にして、どんな映画を観るか選択することがあります。
そのたくさん並ぶ映画の中で、たとえば「アカデミー賞受賞作!」「カンヌ国際映画祭パルムドール受賞!」と銘打ったものに手を伸ばす。そんなふうに、わたしたちは「次にどんな映画を観るか」選ぶこともあるわけです。
あるいは賞を基準にして映画を選ぶことのほかに、好きな映画監督や俳優を基準に選ぶことも、人によってはあるでしょう。「この映画監督の最新作だから絶対に観なきゃ!」とか、「大好きな俳優が出てる映画だから観なきゃ!」みたいな選び方です。そういう選び方も、ある意味では映画の楽しみ方のひとつと言ってもいいかもしれないものです。
ちなみに、わたしの「次にどんな映画を観るか」という選択の基準として「賞」を頼りに選ぶこともあるし、好きな映画監督(俳優はあまりいない)を基準に、次にどんな映画を観るかを選びます。
ところで、カンヌ国際映画祭には、2002年から「パルムドール」ならぬ「パルム・ドッグ賞」なるものがあることを、最近知りました。言わば「犬賞」でしょうか。これはカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールをもじったもので、その名のとおり、収集な演技(?)をした犬に贈られる賞だということです。
たまにはグランプリや主演男優/女優賞というメジャーな賞だけでなく、「パルム・ドッグ賞」のような、一味変わった「賞」に注目して、「次にどんな映画を観るか」の基準にしてみてもいいかもしれませんね。
※参考リンク
1)パルム・ドッグ賞公式ホームページ
https://www.palmdog.com/home
2)パルム・ドッグ賞/Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B0%E8%B3%9E&
それでは、『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめをどうぞ。
何かが浄化されてゆく過程を描く物語/『アパートの鍵貸します』
何かが浄化されてゆく過程を描く物語/『アパートの鍵貸します』:目次
- 何かが浄化されてゆく過程を描く物語
- ゆがんでいて不健全な場所にいた気弱で流されやすい人物
- こんなところで何をやっているのだろう
- フランへの一途な愛情
- 「成り行き」からの決別
- バクスターの中に輝くもの
- 映画の概要・受賞歴など
- 参考リンク
何かが浄化されてゆく過程を描く物語
映画『アパートの鍵貸します』を一言で言い表すとするなら、純愛と人間性を取り戻す物語だと言えるだろう。主人公のバクスターは、人間性の失われたオフィスで、まるで機械のように働くことにうんざりしていた。同時に、成り行きで自分の部屋を上司の逢い引きの部屋として貸し出していることにもまたうんざりしていた。
そんな倦怠感を抱えたバクスターは、エレベーターガールのフランに恋することで、そういったうんざりしたものの満ちる世界から抜け出し、新しい世界へ旅立つ。この物語はその過程を描く作品である。
物語はクリスマス前から大みそかにかけて進行する。クリスマスから新年を迎えるという時期だ。クリスマスを迎えるあたりまで、主人公バクスターの上記のような生活はゆがんで不健全で孤独なものだった。
けれども、フランへの愛情に目覚めることで、バクスターはゆがんで不健全で孤独な生活から抜け出そうと奮闘し、そしてまさに新年を迎えようとしている大みそかには、ゆがんで不健全で孤独なものを手放すという決意がもたらす、真に大切なものを手にいれる。
ゆがんだ不健全な世界が、バクスターが恋するフランへの純愛に基づいた思いによって、少しずつ清められていく過程を、この物語は描いていると言えるかもしれない。物語が終わったあとには、一年が終わり、新しい年を迎えるときの清冽な気持ちを抱くかのような、何かが浄化されたような、そんな気持ちさえ抱くのだ。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
どこまでも居心地が悪く、その不安定さに苛立つ物語/『マーゴット・ウェディング』
どこまでも居心地が悪く、その不安定さに苛立つ物語/『マーゴット・ウェディング』:目次
- 居心地の悪い物語
- 不安定で苛立つ姉妹
- 問題や災厄をもたらすだけの人々
- 再生の可能性がほんの少しだけ
- 映画の概要・受賞歴など
- 参考リンク
居心地の悪い物語
映画『マーゴット・ウェディング』は、姉妹の確執を描いた物語。ニューヨークで暮らす作家マーゴットの元に、妹のポーリンが結婚するとの知らせが届き、マーゴットは息子のクロードを連れて故郷を訪れる。マーゴットは久々に妹ポーリンとの再会を喜ぶが、ポーリンの婚約者マルコムが芸術家気取りの無職のどうしようもない男だと知り、不安を抱く。結婚式までの日々、マーゴットはクロードとともに実家で過ごすが、徐々に姉妹の確執があらわになってゆく……。
物語全編を通じて、わたしたちは居心地の悪さを感じる。同時にまた、苛立ちや不安定さも感じ続けることになる。これは、この物語の多くの登場人物たちが、過剰なものと欠落したものをどこかに抱えていて、精神面で成熟した人物がほとんどいないことに由来するのではないだろうか。
主人公のマーゴットは情緒不安定なところがある。不安定さと苛立ち。マーゴットは、そのようなものを常に抱えている人物として描かれる。マーゴットは夫のジムとの関係はうまくいっておらず、離婚することを考えてはいるが、その決断を下すまでには至っていない。夫婦の関係を続けることにも、離婚することにも不安を抱えたまま、どちらにも踏み出せないままでいる。
妹のポーリンは、マルコムとの結婚に向けて準備を進めている。前の夫との間に娘のイングリッドがいるが、前の夫との関係は、マーゴットのせいで破綻してしまっている。今はマーゴットに怒りは抱えてはいないが、姉に裏切られたとの気持ちを消せないまま抱えている。そのせいで、ドラッグやカルト、くだらない自己啓発にはまっている人物だ。そして今、芸術家気取りの無職で、どうしようもないマルコムと結婚しようとしている。
『マーゴット・ウェディング』は、そんな姉妹が久しぶりに再開することからはじまる物語だ。過去には衝突があったけれども、とにかく今は仲の良い姉妹となろうと、マーゴットもポーリンも振舞う。憎しみや妬み、どうしようもない許せなさを抱えてはいるが、とにかく子どもたちやマルコムといった親しい人々の手前、そういった負の感情を抑えて、仲良く振る舞おうとしている。
けれども、そこに隠しきれないよそよそしさや痛々しさを感じる。マーゴットとポーリンの間には、修復できないほどの深刻な亀裂が常に存在している。子どもたちやマルコムの前では、ふたりとも過去の確執にとらわれずに仲良い姉妹として振る舞うが、隠し切れない互いへの不信感を抱えていて、その不健全な感情が物語の端々で顔を出してしまう。だから、わたしたちはこの物語を観ている間は終始、苛立ちや不安定さにさらされ、そのせいで常に居心地の悪さを感じるのだろう。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
飛び出す映画についてのエトセトラ
飛び出す映画についてのエトセトラ:目次
最近、twitterで飛び出す映画について書いたので、こちらのブログにも加筆することにしました。
そして、「ほしい物リスト」から本が届きましたので、お礼とご報告です。
VR、3D映画、そして立体映画
最近、VRが話題になっていますね。VR専用のゴーグルをかけて、VR専用の映像を見ると、立体感・臨場感たっぷりに、映像の世界がまるで現実に現れたかのように、その映像が見える(感じられる、と言った方が適切かな)というものです。
わたしは、まだVRを試したことがないので(なにせスマートフォンを持っていないため。モバイル端末は、ガラケーとiPad mini4を併用しています)、どのようなものか実感としてはわかりませんが。
しばらく前から3D映画も映画館で上映されるようになりました。こちらの3D映画も、わたしはまだ実際に観たことがないんですが、登場した頃は話題になったことを覚えています。まだ3D映画を見たことがないのは、わたしの住んでいる県には、まだ3D映画を上映できる映画館がないからという、地理的な理由です。
その流れで思い出したのですが、子どもの頃に立体映画を観た記憶があります。立体映画とは、特殊なゴーグルをかけて映画を観ると、その映像が立体的に飛び出して見えるという、今でいう3D映画の先駆けとなったものです。
映像が立体的に見えるといえば、子どもの頃にオバケのQ太郎の映画で立体映画を観たことがある。ゴーグルの左右のレンズに青と赤のフィルムが貼ってあって、それをサングラスみたいにかけてスクリーンをみるとあら不思議! 映像が飛び出して見えて迫力満点! という映画。
— のび (@nobitter73) June 2, 2017