誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

本を読むこと、語り合うこと/『ジェイン・オースティンの読書会』

本を読むこと、そして本を語り合うことの素晴らしさを描いた作品

映画『ジェイン・オースティンの読書会』は、年齢も背景もさまざまな5人の女性たちと、SFマニアの若い男性1人が、読書会を通じて自分の人生を豊かにする物語。

一番愛情を注いでいた犬を亡くしたブリーダーは独身主義者。ブリーダーの彼女が悲しむ姿に、友人たちはなんとか元気づけたいと考える。そこで6回の結婚歴を持つ友人が提案したのが、ジェイン・オースティンの読書会だった。この友人、ジェイン・オースティンは「人生の解毒剤」と位置づけ、崇拝するかのように愛している。

ジェイン・オースティンの長編小説は6冊。読書会では1冊ごとにリーダーが必要となるので、6人のメンバーを見つけることに。そこで集まったのが、20年以上連れ添った夫に「他に好きな人ができた」と切り出された妻とその娘、教え子にときめく女性高校教師、そしてSFマニアの男性だった。

みな、それぞれ人生をよりよいものにしたいと望んでいる。けれども同時にそれぞれの問題に直面し、絶望や葛藤、苦悩を抱えている。人生の先行きに暗い霧が立ち込め、その霧を目の前に立ちすくみ、ひるんでいる。そんな中、ジェイン・オースティンの長編小説を読み、語り合うのだ。

ジェイン・オースティンの読書会』は、本を読むこと、そして本を語り合うことは、人生を豊かにし、よりよき方向に導いてくれる素晴らしいものだというメッセージが伝わる一本。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

もつれた糸をほどく作業としての読書会

読書会というのは、日本ではあまり耳慣れない言葉だが、ひとつの本を参加者みんながあらかじめ読んできて、その感想や解釈を披露し、語り合う会のようだ。

本作はタイトルのとおり、登場人物たちがイギリスの作家ジェイン・オースティンの長編小説6作品を読み、読書会を開いて感想や解釈を披露しあう。そこで行われているのは、もつれてこんがらがった糸を少しずつほぐすような作業なのかもしれない。

ジェイン・オースティンの小説に限らず、広く一般的に本を読むという行為は、人間をより豊かな方向に変える力を持つとわたしは考えている。読書は、読み手に想像力や思考力を要求するからだ。そこでは、小説内の登場人物の心情や行為のみならず、作者自身の心情を読み解き、想像をめぐらせ、疑問を提示し続けることが絶えず繰り返される。じっくりとゆっくりと根気よく時間をかけて。

読書会は、他者の意見や感想に触れる場でもある。もちろん、反発や葛藤が生まれることもあるが、同時に小説作品や作者についてより深く理解し、共感できる場なのだと言えるだろう。

たとえば、SFマニアの男性がスターウォーズにたとえて、ジェイン・オースティンの作品の感想や解釈を語る場面が出てくる。それまで、他の参加者はSFを読んだことはほぼ皆無だ。だから、え、この人何を言ってるの? みたいな困惑した表情と、こんなに面白い読み解き方があったのかと驚く表情が入り混じる。そういった化学反応が生まれることに、読書や読書会の醍醐味があるのだろう。

そうしたことを通じて、人間や人生、他者との関係性といったものをよりクリアに、そして冷静に見つめ直すことができるのではないだろうか。もつれていた糸をゆっくりとほぐすように。そして人間は、よりよい方向へ進み、より豊かなものを獲得する。それはひとつの理想の姿ではある。

18世紀的なジェイン・オースティンの世界観

ジェイン・オースティンの読書会』を通じて感じたのは、男性の登場人物の描き方がやや理想的すぎるかな、ということだ。もちろん、先に述べたように、読書というものは人生をよりよき方向へ変える力を持つ(こともある)ので、本作の中でも、男性の登場人物の描き方はよりよき方向へ向かっていくのは当然といえば当然だが。

それに加え、ジェイン・オースティンの長編小説の登場人物と、この映画の登場人物がリンクしているということなので、18世紀的なジェイン・オースティンの長編小説に忠実な展開と言えばそうなのだが、21世紀になった今、それを裏切る展開があってもよかったのかもしれない。

たとえば、司書の妻に「好きな人ができた」と宣言し、別居を始めた(妻から家を追い出された)夫がいる。けれども、何度かの衝突ののちに、夫は最終的には妻の元へと戻って夫婦は和解する。

また、フランス語の高校教師の夫は凡庸な男で、妻の不安定さを顧みることなくスポーツ観戦やゲームに熱中している。高校教師は教え子の男子生徒に言い寄られ、一度は生徒の元へとまっしぐらに走っていこうとする、けっきょくは夫とのすれ違いを克服し、愛情を取り戻す。

そのせいなのか、映画自体に深みや滋養みたいなものはあまり感じられない。みなそれぞれにそれまでの人生を歩んできた結果が、良きにつけ悪しきにつけ、今の問題や困難をもたらしているのに、読書をすることで、そして本について語り合うことで、そんなにすっきり解決するものなのか。そんな釈然としない思いは残る。

しかし、本を読むこと、語り合うことの素晴らしさを伝えるひとつの寓話として楽しめばいいのだろう。