誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

わたしが映画館に行かない3つの理由/9月のまとめ

邦画のヒット作が多い2016年

今年は(と言っても、まだ3か月残ってますが)、Twitterのタイムラインを見ていても、映画館に足を運んだ人をよく見かけますね。『ちはやふる』『シン・ゴジラ』『君の名は。』などのヒット作に恵まれたことが大きいのだろう。

折に触れて邦画はつまらないとかなんだかんだ言われますが、これだけ話題になって、しかも面白いという評判がたくさんTwitterなどでも聞かれるのは、とてもいいことじゃないでしょうか。

ところで、わたしは映画館にはめったに行かない上に、邦画自体をあまり観ないので、上記のヒット作はまだ観ていない。ただ、これだけたくさん話題になっているのだから、それらの映画はきっと面白くて、多くの人々の心をとらえる何かがある映画なのだろう。わたしだって、ちゃんと観てみたらものすごくハマって、感想を熱狂的にTwitterへ書き込むかもしれない。

さて、話がいきなり脱線しましたが、今回のテーマは「なぜわたしは映画館に行かないのか」。先に、わたしは映画館にはめったに行かないと書きました。なぜそうなのか理由はいくつかありますが、その理由を挙げてみると、次のようになるかと思います。

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一瞬しか訪れないからこその幸福と愛情/『きみに読む物語』

物語の読み聞かせ

映画『きみに読む物語』は、純愛を貫いたひと組のカップルの生涯を描く。恋愛ものでそれも純愛の物語なので、設定やストーリー展開も定型的ではある。しかし、他の凡百の恋愛ものや純愛ものと一線を画すのが、認知症の老婦人に高齢の男性が読み聞かせする物語を軸に話が展開するところだ。

認知症のために療養施設にいる老婦人のもとに、ある物語を読み聞かせるために高齢の男性が通ってくる。高齢の男性は老婦人のために一冊のノートブックを開き、物語を語りはじめる。高齢の男性が語るのは以下のような話だ。

家族とひと夏を過ごすため、南部の田舎町へとやってきたアリー。夏祭りの夜、アリーは地元の製材所で働くノアから熱烈なアプローチを受ける。やがてふたりは恋人同士になり、夏の田舎町でふたりは熱烈に愛し合う。しかし、アリーは名家の娘で家柄も教養もある。一方のノアは、家柄も教養もない田舎の製材所で働く青年だ。そんな身分違いの恋が簡単に成就するわけもなく、ふたりは引き離されてしまう。夏の終わりとともに。ふたりの恋は終わりを迎える…...。

映画『きみに読む物語』は、愛するもの同士の永遠の結びつきを描く。人間は年齢を重ねて老いることは避けられないし、認知症にかかって何もかもを忘れてしまうことだってある。けれども、若い頃に燃えるように抱いた純粋な愛情は年老いてもなお、どんなかたちであっても残り続ける、ある意味では永遠に。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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現実と非現実の曖昧な境目/『スイミング・プール』

現実と非現実との曖昧な境目

映画『スイミング・プール』は、主人公のミステリ作家サラが過去の自分と決別し、新しい自分に生まれ変わる軌跡をたどる物語だと言えるのかもしれない。少なくともわたしはそんな印象を持った。

スイミング・プール』は、倦怠を抱えたサラが、編集者ジョンが所有するフランスの別荘を借り、そこで気分を変えて新作を書こうと意気込む。ところがそこに、ジョンの娘だと名乗るジュリーが転がり込む。ジュリーは男を連れ込み、音楽を大音量でかけるなど、やりたい放題。当然、静かな環境で執筆したいサラと自由を楽しみたいジュリーは対立する……、というストーリー。

物語が進み、やがてある事件が起きる。その事件をくぐり抜けることにより、主人公のサラは変化し、ジュリーとの対立は解消する。サラは新作を書き上げ、出版社に持ち込む。そこへ再び編集者ジョンの娘が登場するのだが、わたしたちは大いに戸惑い、混乱し、いくつかの疑問を抱く。

それは別荘で会ったジュリーとは似ても似つかぬ、ジュリアなる名前の娘がジョンの娘として登場するからだ。あれ、このジュリアなる名前の娘が編集者の本当の娘だとすると、あの別荘で出会ったジュリーという娘はいったい誰だったのだろう、あの別荘で起こった出来事はいったい何だったのだろう、わたしたちがそれまでに観てきたものは、いったい何だったのだろう、と。

そんなふうにどこまでが現実で、どこからが非現実なのかわからないところが、この物語の一番の特徴だ。非現実というのは、それが想像なのか幻覚なのか、あるいはもうひとつの現実なのか確かめようもないということである。そんな現実と非現実の境目が曖昧ではっきりしないところに、わたしたちは戸惑い、不安さえ抱いてしまう。いくらでも解釈の余地のある作品だと言えるだろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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大いなる徒労と疲弊/『ビッグ・リボウスキ』

虚構と現実が入り乱れる物語

ビッグ・リボウスキ』は、誘拐事件を軸にしたコメディ映画。ただ、物語はまっすぐに進まない。必ず肝心なところで別の方向へ進むようにねじ曲げられ、ゆがめられてしまう。混乱に拍車がかかり、虚構の上に虚構が重なり、混沌がますます混沌としてゆく。わたしたちの目の前で起きているのは真実なのか、わたしたちはいったい何を目にして、何を見ようとしているのか。

主人公はうだつの上がらない中年男のジェフリー・リボウスキ、通称デュード。街一番の無精者だが、友人たちとボウリングをするのが楽しみなようだ。物語の中では、友人たちとともにボウリング大会にエントリーしている。結婚はしていないようだ。無職でどうやって生活費を稼いでいるのかは不明。長髪でだらしない服装をしている。

そのような主人公ジェフリー・リボウスキと同姓同名の大富豪リボウスキの妻が誘拐されてしまう。誘拐事件の身代金の受け渡しと人質の保護を、大富豪のリボウスキに頼まれたもうひとりのリボウスキはその頼みを引き受けるが……、という物語。

いったいなぜ大富豪のリボウスキは、こんな無精者で見るからにうだつの上がらない中年男に、誘拐事件の解決を依頼するのか、その思惑はいったい何なのか、デュードはいったいどこへ行こうとして、どこへ導かれるのか、といったところがこの誘拐事件の、そしてこの物語の鍵なのかもしれない。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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不思議で魔術的な魅力/8月のまとめ

人はなぜ、映画を観るのだろうか

人はなぜ、映画を観るのだろうと、ふと思った。
当たり前だが、人が映画を観る理由など、人の数だけある。

質問を変えてみる。

わたしはなぜ映画を観るのだろう。
これなら、なにかしらの答えが見えてくるだろう。


わたしの場合、子どもの頃のドラえもん映画が最初の映画体験だった。その中でも特に『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』が大好きだということは、このブログの最初の記事に書いた。

2016年1月2日更新:友情と勇気を持って不正義へ立ち向かえ/『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』
記事リンク:http://nobitter73.hatenablog.com/entry/20160102/1451704162

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