夜明けの光の中に/『ダウントン・アビー(映画版)』
夜明けの光の中に/『ダウントン・アビー(映画版)』:目次
- 一筋縄ではいかない屈折した人間模様
- みんないい人になったなあ
- 疾走する蒸気機関車
- 参考リンク
一筋縄ではいかない屈折した人間模様
わたしは『ダウントン・アビー』のテレビシリーズを熱心に観ていたひとりだ。そこで描かれる貴族と使用人たちの人間模様が実に魅力的で、約50分前後の物語があっという間に過ぎていった。
『ダウントン・アビー』(テレビシリーズ版)は、1912年のタイタニック号沈没事故から第一次世界大戦、アイルランド独立戦争などの歴史上の出来事や社会情勢を背景に、グランサム伯爵クローリー家と彼らに仕える使用人たちの人間模様を描いてきた。
テレビシリーズの魅力はなんといっても、その人間模様だ。クローリー家や使用人の内部で互いに敵意や確執を抱えている。それが意地悪で陰湿な言動につながり、さらに敵意や確執が深まってゆく。一筋縄ではいかない屈折した関係性が絡まり合っているのだ。
もちろんそこには家族間の情愛や、貴族と使用人を超えた信頼関係も存在する。そこがまたこの物語の救いであり、シリーズを通して登場人物たちの抱く敵対心や確執が溶けてゆく過程が、この物語の大いなる魅力であり、同時に推進力となるのだ。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
親指をしゃぶる自分を飾らずに世界にさらせ/『サムサッカー』
親指をしゃぶる自分を飾らずに世界にさらせ/『サムサッカー』:目次
- じんわりとしたさわやかさをもたらす物語
- ただ、親指をしゃぶる癖が抜けないだけ
- ジャスティンを取り巻く普通の平凡な大人たち
- ありのままの自分を飾らずに世界にさらすこと
- 映画の概要・受賞歴など
- 参考リンク
じんわりとしたさわやかさをもたらす物語
映画『サムサッカー』は、十七歳の少年ジャスティンの青春を描く物語。ジャスティンは常に自分に苛立ち、そんな自分を良い方向に変えたいともがいている。ありのままの自分が、自身の力で未来をつかみとることの大切さを描く物語とも言えるだろう。
主人公のジャスティンは、親指をしゃぶる癖が抜けない17歳の高校生。あるときジャスティンは歯医者のペリー先生からあやしげな催眠術をかけられる。親指をしゃぶる癖は治ったものの、今度は極端な行動に走ってしまい、ADHD(注意欠陥多動性障害)と診断される。そこで投薬をはじめたジャスティンは次第に活動的にあり、弁論クラブの地区大会で優勝するほどの活躍を見せるようになるが……、というストーリーだ。
わたしはこの物語をそれほど期待しないで観たのだが、ジャスティンが自分を変えたいと必死にもがいている姿を、気がつけば見守るような気持ちで観ていた。17歳の高校生だからこその不安と悩みにとらわれ、そして自己愛に満ちたジャスティンの姿は、かつて17歳だったわたしたちの姿でもあるからだろう。
わたしはどちらかといえばジャスティンの両親や先生に近い方の年齢なので、思わずジャスティンの危うさをハラハラしながら、そっちの方向に進むなと思いながら観ていた。その一方で、ジャスティンもまた傷つきながら、あるべき方向へ必死に舵取りをする姿を観ながら、これなら大丈夫な方向に進むかもしれないと思ったのもたしかだ。
他人から見ればそこまで深刻ではないが、でも本人たちにとっては深刻な問題を抱えながらも、未来に向かってどのように生きるか悩みながら前へともがくように進むジャスティンの姿が、最後にじんわりとしたさわやかさをもたらす物語である。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
わたしたちもまた少しずつしか伝えられない/『潜水服は蝶の夢を見る』
わたしたちもまた少しずつしか伝えられない/『潜水服は蝶の夢を見る』:目次
- 伝えるということを問う物語
- わたしたちもまた少しずつしか伝えられない
- 蛇足的な想像
- 映画の概要・受賞歴など
- 参考リンク
伝えるということを問う物語
映画『潜水服は蝶の夢を見る』。潜水服を着たかのような不自由な状況に置かれてしまっても、記憶と想像力がある限り、人間の心はどこまでも自由に蝶のように羽ばたくことができる。同時に、人はどんなに悲惨な状況に陥っても自分の感情や思いを言葉にして伝えることができ、それが周囲の人々の心を響かせることができる。この物語が伝えたいメッセージは、こう言い表すことができるだろう。
この物語の主人公はファッション誌『ELLE』の編集長であるジャン=ドミニク・ボビー。彼は息子とともに新車のドライブをしている最中に脳溢血に襲われてしまう。3週間の昏睡状態から目覚めたあと、なんとか一命をとりとめたものの、頭から足の先までの全身に麻痺が残ってしまった。
そんなジャン=ドミニク・ボビーに残されたのは意識と聴覚、そして左目を動かすことだけだった。そんな彼は言語聴覚士の指導により、まばたきのみで言葉を伝える方法を覚えてゆく。イエスならまばたき1回、ノーならまばたき2回というふうに。そこからさらに言葉を伝える方法まで獲得してゆき……という物語だ。
この映画には感動とはまた違う驚きがある。他人と意志が伝達できないかのように見える状態の障害者にも想像力や感情があり、恐ろしく制限され、時間のかかる方法ではあるが、その想像力や気持ちを他人に伝えることができるのだという驚きと発見がある。伝えるということが、人間にとってどういうものであるか。わたしたちはそんな疑問を突きつけられるのだ。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
沈黙と静寂の中にあふれる濃密な愛情/『キャロル』
沈黙と静寂の中にあふれる濃密な愛情/『キャロル』:目次
- ちょっと怖いなあと思ってしまうくらいの濃密な恋愛
- 静寂と沈黙の中の愛情
- キャロルの強い引力
- 映画の概要・受賞歴など
- 参考リンク
ちょっと怖いなあと思ってしまうくらいの濃密な恋愛
映画『キャロル』は、女性同士の濃密な愛を描いた物語。物語は1950年代のニューヨークが舞台。デパートの店員テレーズとお客としてやってきたキャロルとのあいだの女性同士の恋愛を描く。静謐と沈黙が世界を美しく支配する中で、ふたりの女性の濃密な愛情がそこかしこに満ちているのを、わたしたちは感じることができる。
クリスマス目前のデパートのおもちゃ売り場で働くテレーズの前に現れたのは、幼い娘へのクリスマスプレゼントを選びにやってきたキャロルだった。キャロルが売り場に置き忘れた手袋を、テレーズがキャロルの自宅へと届けたことから、ふたりは少しずつ親密になってゆく……、というストーリーである。
映画『キャロル』に描かれた女性同士の恋愛を男性のわたしが見ても、そこにある濃密な愛情はうらやましいほどに「いいなあ」と思えるものがあり、そして同時に、ここまでもう密だと「ちょっと怖いなあ」と感じるものもある。
「ちょっと怖いなあ」と思うのは、ここに描かれているのが同性愛だからというわけではない。それは異性同士の恋愛にもつきものの、相手を深く愛し過ぎるときのような危うさである。あまりにも深い愛情が、むしろその関係を破綻へ向かって進ませてしまうんじゃないかという危うささえも感じさせるのである。そういった面が描かれているからこそ、この物語は普遍的な愛を描いているのだとも言えるだろう。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
親切心と愛犬/『アーティスト』
親切心と愛犬/『アーティスト』:目次
- 「親切心」を描いた物語
- 「想像」の力を引き出すサイレント映画
- ペピーの親切心
- 愛犬ジャックの大活躍
- 映画の概要・受賞歴など
- 参考リンク
「親切心」を描いた物語
映画『アーティスト』は、かつて大スターだった俳優ジョージ・ヴァレンタインが階段から転がり落ちてゆくさまと、新進気鋭の女性俳優ペピー・ミラーが階段を駆け上がってゆくさまを対比的に描いてゆく。「親切心」がこの物語のひとつのテーマだろう。ジョージの親切心がペピーを人気俳優に引き上げ、ペピーもまたその親切心を忘れずに俳優としてのキャリアを積み上げてゆく。
物語の最後には「ああ、誰かに親切にすることっていいなあ」、「誰かにかけてもらった親切は忘れないようにしよう」と、思わず感じてしまうような心温まる物語となっている。
物語は1927年のハリウッドから幕を開ける。世の中はサイレント映画の絶頂期。俳優ジョージ・ヴァレンタインはサイレント映画の大スター。彼の出演する映画は、満員の観客たちから熱烈な拍手喝さいを浴び、彼はどこへ行ってもファンたちに取り囲まれ、サインをねだられる。
そんなとき、偶然にも俳優志望の若い女性ペピー・ミラーは、ファンたちに囲まれるジョージとともに写真を撮られ、たちまち新聞や雑誌で「あの娘は誰?」と騒がれてしまう。ペピーもまたジョージの大ファンで、彼を取り囲むファンのひとりだった。ペピーはジョージに再会したい一心で、映画のオーディションを受け、エキストラの座を射止める……、というストーリーだ。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。