誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

まっすぐに海へ/『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』

死ぬ前にどうしても見たい風景

映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』は、冒頭からラストの直前まで、とにかく「動」の映画だ。登場人物たちは絶え間なく動き回り、状況は刻一刻と変化していく。息つく暇もなく、ストーリーは目まぐるしく展開し、わたしたちをハラハラさせながら物語は進む。本作はラストシーンの直前まで一貫してテンポの良いコメディ調のロードムービーだ。だからこそ、ラストシーンの「静」の美しさが際立つ。

余命わずかと宣告されたふたりの男が病院で出会うところから物語ははじまる。余命数日の脳腫瘍と診断されたマーティンと末期の骨肉腫と診断されたルディ。こっそりと持ち込んだ酒を飲み、すっかり酔っ払ったふたりは、海を見たことがないので海を見に行こうと意気投合する。「知ってるか? 天国じゃみんなが海の話をするんだぜ」。ふたりはさっそく病院の駐車場から一台の車を盗んで走り出す。

ふたりは、旅のはじまりに服と金を手に入れるために強盗を働き、警察に追われる羽目になる。同じ頃、ふたりに車を奪われたギャングも、ふたりを追跡しはじめる。なぜなら、二人が病院で奪った車のトランクには、ギャングの大金が積まれていたからだ。マーティンとルディはやがてそのことに気づき、警察とギャングに追われながら、海を目指して車を走らせ続ける…...。

主人公のふたりは警察とギャングに追われ、余命も迫っている。わたしたちは思わずマーティンとルディを応援してしまう。警察にもギャングにも捕まるな、一刻も早くいまだ見たことのない海を見せてあげたい、と。ふたりは何度もコメディ的なピンチに陥るが、そのたびにコメディ的な機転を利かせ、うまくその場を切り抜ける。そんなところが、本作のひとつの見ものだろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

単なる”余命もの”ではないからこそ

主人公が余命わずかと宣告され、その残り少ない生をどのように生きるか。そのような設定の”余命もの”の映画やテレビドラマは他にもたくさんある。けれども、本作はテンポの良いコメディ調のロードムービーであること、余命ものにつきものの、登場人物たちがシリアスに人生に向き合うという描写が極力排されていることの2点において、世の中にあまたあふれる”余命もの”と一線を画している。

まず本作では、主人公のふたりがシリアスに人生に向き合うという描写が極力排されている。そもそも作品の基調はコメディなので、主人公のふたりに限らず、登場する人物たちがあまりシリアスではない。

だから、ふたりを追う刑事や警察官、それにギャング達もどこか間が抜けている。激しい銃撃シーンはたくさん出てくるが、誰も死なないばかりか血も流さない。ふたりの会話や言葉にも、要所要所にユーモアが効いていて悲壮感はあまりない。

それに主人公のふたりは、自分のこれまでの人生を振り返って、「俺の人生は本当にこれで良かったのだろうか」と自問自答するようなことはしない。「病気のせいで俺の人生が狂わされてしまった」と懊悩もしない。「あの時あんなことをしなきゃ良かった。今からでも取り戻そう、代償を支払おう」みたいな反省もしない。

そのように本作は、”余命もの”の映画やドラマによくあるような悲壮感、自問自答や葛藤、懊悩や反省はほとんどない。もちろん、全体の基調としてはコメディタッチなので、悲壮感や葛藤が入り込む余地があまりないと言えばそうなのだろうけれども、コメディ調なので、わたしたちはむしろさっぱりとした気分で本作を観ることができる。

余命数日と診断されたふたりは悲壮感を抱え、ただ自問自答や葛藤、懊悩や反省をしただけでしたという話ならば、本作のラストシーンの美しさも、かえって魅力が失われてしまうようにすら感じてしまう。死への恐怖や悲壮感が胸に詰まっていたら、その光景の美しさもうまく飲み込めないからだ。

それでもときおり、旅の途中でマーティンは脳腫瘍の発作に苦しみ、志半ばでの死を予感させるシーンがいくつかある。でも、そのたびにルディが必死で薬を飲ませる。マーティンが強盗などの悪事を働くのをこころよく思っていないルディが、発作に苦しむマーティンのために薬を強盗する場面もある。本作の中では数少ないシリアスなこのシーンが、マーティンとルディの強固で温かな友情を描き出すことに成功している。

それを目にしたら死んでも悔いはないほどの風景

わたしたちの人生に終始つきまとい、わたしたち絶えずを追いかけ続けるのは死だ。それを意識する、意識しないに関わらず。そんなわたしたちが死の直前に本当にしたいことは、いまだ見たことのない美しい風景を目にするというようなことなのかもしれないとふと考えた。

むしろ、豪華なホテルで豪華な食事や高価な酒を楽しむ、あるいは良い女たちととびきりのセックスをするというような即物的な欲望や願望は、本当に死を目の前にすると、むしろ些細で取るに足らないもののようにすら思えてくる。こんなつまらないものにとらわれてしまっていたのかと。

それを目にしたら死んでも悔いはないし、自分の生はそれほど悪くもなかったと思えるほどの美しい風景。死ぬ前にそのような美しい風景を目にすることができたら、死の瞬間にそのような美しい風景に包まれることができたらどんなにいいだろう。即物的な欲望や願望を満たすなんて、生きている間に本当はいくらでもできるはずのことだからだ。

映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』は、さまざまな疑問や思いをわたしたちの胸に中に思い浮かばせる。わたしたちにとって自分が死ぬ前にどうしても見たい風景とは何だろう。それを目にするために、わたしたちは何をしているだろうか。わたしたちは最後に本当に見たいと願った風景をこの目にするため、今この瞬間を走り続けているだろうか。

わたしたちは正しい方向に走っているだろうか。立ち止まったり、別の方向に走っていないだろうか。あるいはたどり着くべき目的地を見失っていないだろうか。ひょっとすると、目的地をまだ見つけていないのではないだろうか、と。だからこそ、わたしたちはまっすぐに海を目指して走り続けるふたりを応援してしまうのだ。

参考

1)Yahoo!映画/『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア
movies.yahoo.co.jp

2)映画.com/『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア
eiga.com

3)Filmarks/『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア
filmarks.com


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