誤読と曲解の映画日記

映画鑑賞日記です。

青い空が戦争の傷跡を見つめる/『長屋紳士録』

心にさざ波を立てる作品

映画『長屋紳士録』は、東京の下町を舞台にした”拾い子"をめぐる人情劇。現代のわたしたちの目から見ると、”拾い子”を引き取ったおたねが男の子へ向けるまなざしは、時に冷たく感じるほどにドライだ。だからこそ、後半になってようやく芽生えた愛情がより温かく感じる。ああ、人間の思いやりはまだ捨てたもんじゃないなと。

けれども物語の最後では、ほっとした気持ちを抱いたわたしたちの目の前に戦後すぐの現実が映し出される。それはわれわれに衝撃を与える。こんな現実がすぐそばにあったのだと。それは戦後の東京に残された戦争の生々しい傷跡と言っていいだろう。そんな傷跡は物語が終わったあとも、あの現実はどうなったのだろうと、わたしたちの心をざわざわとさせる。

本作は、占い師の田代が親とはぐれた男の子を拾ってくるところから物語ははじまる。男の子は親とはぐれたあと、いつの間にか田代についてきたらしい。田代はそんな男の子を不憫に思い、一晩だけでも世話してやってくれと長屋街の人々に頼みまわる。けれど、長屋の人々は男の子を互いに押し付けあう。よその子の世話なんてまっぴらだと。

けっきょく荒物屋のおたねが渋々ながら一晩だけという約束で、男の子を自分の家に寝泊まりさせることになる。おたねはひとり暮らしで、荒物屋を営んでいる。他に家族はいない。そんなおたねが嫌々ながらも男の子の世話を通じ、やがて愛情に目覚めるが……、という物語。

空いっぱいに広がった黒い雲がもたらす風雨がようやく去って、水面には穏やかでキラキラとした輝きがもたらされる。けれども、そんな水面にひとつの大きな石が投げ込まれ、大きな波が起こり、波紋が広がる。その波紋がわたしたちの心をざわざわと落ち着かなくさせる。物語が終わっても、その波紋がわたしたちの心にさざ波を立て続ける。『長屋紳士録』は、そのようにたとえることのできる一本だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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救いようのない泥沼の中のかすかな希望のようなもの/『イカとクジラ』

家族関係がきりきりと音を立ててねじれていく

映画『イカとクジラ』は、もともとこじれかけていた家族が、母親の浮気をきっかけに空中分解してしまい、さらに家族関係がきりきりと音を立ててねじれていく過程を描く。物語は最後まで家族の抱える問題がこじれたままで、根本的に解決するわけではない。本作のラストは明確なハッピーエンドではないし、逆に明確なバッドエンドを迎えるというわけでもない。

でも、最後の長男の行動は、ひょっとしたらこれまでとは違う地平に踏み出していく可能性を示したものではないかと思わせるところがある。そこにかすかな希望、あるいはかすかな希望の可能性を見出せるのではないだろうか。

本作にはまず、ニューヨーク・ブルックリンに住む作家の夫婦が登場する。夫のバーナードは作家だが、本はあまり売れず、不本意ながらも大学で教師の仕事に就いている。バーナードはインテリで文学や映画の知識は豊富だが、子ども相手に本気で卓球をして、教え子に手を出すなど少しずれたところがある。

一方で妻のジョーンは新進気鋭の作家として成功を収めつつある。そんなジョーンはバーナードに愛想を尽かし、まずは長男の友人の父親、そして次男のテニスのコーチと次々に浮気してしまう。本作はジョーンの浮気が発覚し、夫婦は離婚することを決意するところからはじまる。そこでバーナードが出ていき、近所に家を借りる。16歳のウォルトと12歳のフランクの息子には、父親と母親の間の家を行き来する生活が訪れる、というのが本作のストーリー。

両親の離婚と家庭の崩壊に息子たちも否応なく巻き込まれ、家族はみな少しずつおかしくなっていく。『イカとクジラ』は、家族が壊れること、それが子どもたちに良くない影響を与えることはこういうことなんだと、物語を見ていて胸が痛くなってしまう一本。けれど、その過程をくぐり抜け、長男のウォルトだけは希望の可能性を見出したかもしれない。本作を観て、わたしはそんなふうに感じた。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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「今月のまとめ」はじめました/7月のまとめ

「今月のまとめ」はじめました

こんにちは。『誤読と曲解の映画日記』管理人の”のび”です。

このブログは基本的に毎月2回、第1と第3の土曜日に更新するブログです。たまに、それ以外の祝日にも記事を更新することもありますが、それでも月に3回程度の更新です。だから、ブログの更新頻度としては、とても低い方に入るのではないでしょうか。

先に第1と第3の土曜日に更新すると書きましたが、月によっては当月の第3土曜日に記事を更新すると、翌月の第1土曜日までの間隔が、最大で3週間ほど空いてしまうこともあります。その間にも、このブログを訪れていただく人もいます。

そんなとき、せっかく訪問していただいたのに、「なんだ、前回の更新からずっと更新してないじゃないか」と思われてしまうのも申し訳ないなあと思い、今月から毎月末日に「今月のまとめ」を更新しようかと思い立ちました。それに曲がりなりにも、このブログを始めて半年以上が経ちましたので、何か新しいことでもしようかなと。


「今月のまとめ」、内容は名前のとおりその月に更新した記事の一覧と、映画にまつわる文章でも書こうかなあと考えています。いつもの更新は1本の映画の感想だけなので、感想以外の文章も書いてもいいだろうと。そんなわけで、通常の更新ともどもよろしくお願いします。

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まっすぐに海へ/『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』

死ぬ前にどうしても見たい風景

映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』は、冒頭からラストの直前まで、とにかく「動」の映画だ。登場人物たちは絶え間なく動き回り、状況は刻一刻と変化していく。息つく暇もなく、ストーリーは目まぐるしく展開し、わたしたちをハラハラさせながら物語は進む。本作はラストシーンの直前まで一貫してテンポの良いコメディ調のロードムービーだ。だからこそ、ラストシーンの「静」の美しさが際立つ。

余命わずかと宣告されたふたりの男が病院で出会うところから物語ははじまる。余命数日の脳腫瘍と診断されたマーティンと末期の骨肉腫と診断されたルディ。こっそりと持ち込んだ酒を飲み、すっかり酔っ払ったふたりは、海を見たことがないので海を見に行こうと意気投合する。「知ってるか? 天国じゃみんなが海の話をするんだぜ」。ふたりはさっそく病院の駐車場から一台の車を盗んで走り出す。

ふたりは、旅のはじまりに服と金を手に入れるために強盗を働き、警察に追われる羽目になる。同じ頃、ふたりに車を奪われたギャングも、ふたりを追跡しはじめる。なぜなら、二人が病院で奪った車のトランクには、ギャングの大金が積まれていたからだ。マーティンとルディはやがてそのことに気づき、警察とギャングに追われながら、海を目指して車を走らせ続ける…...。

主人公のふたりは警察とギャングに追われ、余命も迫っている。わたしたちは思わずマーティンとルディを応援してしまう。警察にもギャングにも捕まるな、一刻も早くいまだ見たことのない海を見せてあげたい、と。ふたりは何度もコメディ的なピンチに陥るが、そのたびにコメディ的な機転を利かせ、うまくその場を切り抜ける。そんなところが、本作のひとつの見ものだろう。


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人生に変化をもたらすものは、密やかに忍び寄る。まるで本を読むときのように。/『リスボンに誘われて』

1冊の本が人生を変える物語

1冊の本と出会い、そこに書かれた物語をくぐり抜ける。その過程で読み手の心境やものの見方に少しずつ変化が起こり、その本を読んだあとでは読み手の人生の有り様や世界の成り立ち方が大きく変わって見える。そんなふうに1冊の本を読むことで人生の方向が大きく変わったという経験は、読書する人なら多くの人が体験したことがあるだろう。

映画『リスボンに誘われて』は、たまたま手にした1冊の本が人生を変える物語。死と背中合わせに書かれた1冊の本が読む者の心をとらえ、人生をよりよき方向に導くことを描く。青年たちの過酷な過去を知った末に訪れる人生の選択。しかし、人生の大きな選択をせまられる以前に、1冊の本と出会ったことで、すでに人生は少しずつ密やかに変化していたのだ。

本作は、スイスの高校で古典文献学を教える年配の教師ライムント・グレゴリウスが自殺を図ろうとしていた若い女性を助けたところからはじまる。自殺を図ろうとしていた女性は、高校教師の元からいなくなってしまったが、女性の赤いコートには1冊の本が残されていた。その本を開くとリスボン行きの夜行列車のチケットが挟まれていた。その女性の行方を案じながら、1冊の本に惹かれるようにグレゴリウスはリスボンへと旅立つ……。

映画『リスボンに誘われて』の設定や時代背景、そして本の著者やその仲間たちを追って少しずつ過去を明らかにするミステリー的なストーリー展開は映画的な意味においても面白いのだが、もう少し主人公のバックグラウンドに踏み込めば、もっと深みのある映画になったのになあ、という一本だ。ひとつの映画としてはよくまとまっているとは思うが。

なお、本作には原作本がある。わたしは未読。この映画を観て、インターネットで関連情報を調べるまで知らなかった。インターネットでいくつかのレビューを見たところ、原作本よりボリュームが少ない、割愛された部分も多々あるという。原作本は未読なので、本作と原作の比較はできない。だから、ここでは本作を見た限りの感想となることをあらかじめお断りしておく。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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